顧客志向を語るにあたって、
これからは「顧客」を満足「させる」サービスを提供しなければならない。。。。
なんか最近良く聞くフレーズだ。。。。
顧客志向という考え方で顧客の側に立つという意味では一見正しそうに聞こえる。。。。
顧客志向については、ものすごく世の中で言われているから、
だれでも知っていることであるはずなのだが、意外と勘違いしている人が多い。。。
顧客志向と言いながらも、「顧客を満足させる」。。。。
とつい言ってしまう。。。
私なりの解釈なら、こう言ってしまうのは頭では顧客志向でなければと解っているつもりだが顧客志向というものを本質的に理解していないからこういう発言になるのだろうと思う。(ただ、言葉尻をとっているわけではなく、前後の文脈から判断しますが。。。)
なぜなら、発言を思考としてとらえるなら、あきらかに「相手の立場に」立っていないから。。。
細かい話をすれば「顧客」という単語表現自体、主体はこちら側で、相手側ではない。
つまりわたしの「客」というニュアンスで、相手の立場ならば、せめて「お客様」とするべき。。。
つまり主体。。。
主語にならなければ相手の立場とはならない。。。
そして自分自身がお客様になったつもりで物事を考え(共感しイメージし)てみるという視点が重要であるということなのです。。。
まあ、表現上、たまたま「顧客」という言葉を使ってしまったとして、それは本当は「お客様」(主体が相手)というつもりだったとしても満足「させる」といってしまったら明らかに主語は、こちら側(つまり自分だ:わたしがお客様を満足させる)だ。。。。
だから本質的に顧客志向を理解しているなら
「お客様が満足する」サービスを提供するというように
主語がお客様側にある表現が妥当でしょう。。。。
ん~。。。なんか文章では表現しづらい。。。
まあ、つまりは、お客様を観察してお客様の顔色を見るイメージでの考え方でなく、
自分がお客様だったら。。。
ないしはお客様にのり移って。。。
という視点といえばイメージできるのでしょうか。。。。
だから、頭の中で展開するイメージで、
見える映像はお客様の目から見た映像。。。
でもこれは、決して屁理屈でも「ことば遊び」でもないから。。。。
このとらえ方が違うならば、全く勘違いしてしまうということ。。。。。
結構重要なのです。。。。
ことばのあやというものもあるから、本質的な理解をしていながらも、
ことばとして顧客を喜ばすとか言う場合もあるかもしれないので一概に否定できませんが、前後の文脈からくみとれば、なんとなく顧客志向について発言している人が、その本質を理解できているかどうかはわかるものです。
たとえば理解していないというなら。。
接客姿勢(心構え)について語ったとすると。。
お客様との接し方でも、真剣に取り組むということは大事だが、真剣に「勝負」したり「戦ったり」する姿勢が必要なんて思っているようなニュアンスの話をする。。。
なんか真剣身があって真面目でいい感じな考え方のような気がするのですが。。。。
それはナンセンス。。。。
だって、お客様は「敵」じゃないでしょ!
本質的な顧客志向に則るなら、お客様は、ともに歩む、いわば同士や仲間のニュアンスが必要ではないのだろうか?
私はそう思う。。。。のですが。。。
ホームページ営業やシステム販売に置き換えるなら、将来の顧客になってもらえそうなお客様は、お客様自体が商品の付加価値や営業マン自身の付加価値になるという自覚が必要です。。。
つまりお客様の成功事例自体があなた自身の商品価値になる。。。
そしてその事例を営業トークで話しているならば、そういったお客様のノウハウや事例が「ビフォーサービス」となるのです。。。
となるとセールスの場はお客様と協同の商品開発の場と言ってもいい。
ですから敵対するような関係では断じてない。。。。。
あたり前の話。。。。
あえて言うまでもない話だったかもしれませんが。。。。
経営コンサルタントでも、上記のようなニュアンスで話す人がいますので(ロジック寄りじゃなく感性の世界だからとくに)、経営指導を生業にしているひと以外の人が顧客志向について今は違った見解であってもしょうがないのでしょう。。。。
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2007年11月13日火曜日
行動に引っ張られる心。。。
「行動は感情に従うように思われているが、
実際には行動と感情は同時に働くのである。
意思の力でより直接的に支配されている行動を
規制することによって、
意思に支配されにくい感情をも規制することができる。
つまり、快活さを失った時、
他人に頼らず自発的に快活さを取り戻す秘訣は、
いかにも楽しそうな様子で動き回ったり、
しゃべったりしながら、
すでに快活さを取り戻したように振舞うことである。」
byウィリアム・ジェームズ(1842 - 1910) 一般心理学の「父」
落ち込んだとき、ストレスを抱えてしまいどうしようもなく沈んでいるとき、
演技でもいいから楽しそうに振舞っていれば、やる気が湧き上がってくるものです。
カラ元気とかいうものもそうですが。。。
無理やりでも行動に引っ張ってもらうことも、時には必要です。
実際には行動と感情は同時に働くのである。
意思の力でより直接的に支配されている行動を
規制することによって、
意思に支配されにくい感情をも規制することができる。
つまり、快活さを失った時、
他人に頼らず自発的に快活さを取り戻す秘訣は、
いかにも楽しそうな様子で動き回ったり、
しゃべったりしながら、
すでに快活さを取り戻したように振舞うことである。」
byウィリアム・ジェームズ(1842 - 1910) 一般心理学の「父」
落ち込んだとき、ストレスを抱えてしまいどうしようもなく沈んでいるとき、
演技でもいいから楽しそうに振舞っていれば、やる気が湧き上がってくるものです。
カラ元気とかいうものもそうですが。。。
無理やりでも行動に引っ張ってもらうことも、時には必要です。
2007年11月12日月曜日
百考は一動に如かず。。。
何か新しいことを行う。。。
人は失敗に対して恐怖を抱くものです。。。
誰でもその恐怖感はあります。。。
でも、最悪な失敗よりもさらに悪いことがあるのです。。。
それは1度も失敗しないことです。
なぜなら失敗をしないような程度のことしかしないのか、何も実行してないか、のどちらかだからです。
失敗を怖れ、完璧にしようといろいろ考え準備に時間をかけすぎる。そしてチャンスを逸する。
知る学ぶという点では、百聞は一見しに如かずとは言いますが。
「百考は一動に如かず」by私
動=ここでは行動だけでなく心の動き・感動・体感・経験も含む
ということも多いのです。
人生は卒業後に自分からどれだけ能動的に働きかけたかで決まる。
by小柴昌俊(東京大学名誉教授・ノーベル物理学賞受賞)
人は失敗に対して恐怖を抱くものです。。。
誰でもその恐怖感はあります。。。
でも、最悪な失敗よりもさらに悪いことがあるのです。。。
それは1度も失敗しないことです。
なぜなら失敗をしないような程度のことしかしないのか、何も実行してないか、のどちらかだからです。
失敗を怖れ、完璧にしようといろいろ考え準備に時間をかけすぎる。そしてチャンスを逸する。
知る学ぶという点では、百聞は一見しに如かずとは言いますが。
「百考は一動に如かず」by私
動=ここでは行動だけでなく心の動き・感動・体感・経験も含む
ということも多いのです。
人生は卒業後に自分からどれだけ能動的に働きかけたかで決まる。
by小柴昌俊(東京大学名誉教授・ノーベル物理学賞受賞)
2007年11月9日金曜日
その原因は? 原因帰属理論。。
「どうして?」「なんで?」「なぜ?」。。。。
矢継ぎ早に、こんな質問攻めをされれば、
なんか責められているような気がしてくるし、
終いにはイライラして腹が立ったりするものです。。。
しかし元来私たちは、様々なものを見たり、聞いたり、
自分で体験したときに、なぜ、どうしてと、その原因を考えるものらしい。
原因をどう考えるかによって、その時の感情や、その後の行動が変わってくる。
どんなときにどんな原因を考えるか、
その結果どうなるのかを考えることを理論化したのが、「原因帰属理論」です。
しかし、一般的に人は、本当の原因を突き止めることをスキップして、
ある程度当てずっぽうの原因を考えてしまうという落とし穴があるのです。。。
狼少年の話はみんな知っている。。。
それが非常に解りやすいのですが、
例えば、女性なら誰にでもニコニコ笑って声をかける男がいたら、
その人が誰かくどいていても、あいつは軟派だからと
原因はあいつ本人だと考えてしまう。
その逆で、ある女性が誰からも告白されモテモテであったなら、
そのなかに軟派なあいつがいても、彼女が魅力的だから、
原因は彼女の魅力だということになります。
人の行動に対する原因について限定すると非常にわかりやすい傾向があります。
とある朝
いきなり怒声が発せられた。。。。
(その彼が出社するや否や)
「だれだぁ!俺の○○勝手に持って行きやがったのは!(怒)」
「ふざけるなぁ!今日、朝いちで使うのに、黙って持って行きやがって!」
(うるさい。朝っぱらから不愉快だ。)
(ん!!!あいつのキャビネットの上に置いてあるのは?)
(そういえば、あいつ『明日朝いちで使うから』ってそこに置いてたっけ。え!!)
「朝からうさいぞ!ここにあるの何だ!あんたが昨日ここに置いたんだろ!!!」
この時、彼は他人のせいにして怒鳴ってましたが、
私は私で彼が心が狭いやつだ。なんて思ったものです。。。。
以上は1○年ほど前に実際にあったやりとり、彼は今、とある会社の社長をしている。。。。。
これは「他人のせい」にしてしまう典型的な例ですが、
問題行動があった場合の原因として勝手に思い込んでしまう心理の話です。
自己責任という内容で以前話しをしましたが、その本質的な心の動きのことです。。。
ふつう
問題行動があった場合
自分の行動は外的原因(環境のせい)
原因は本人以外
他人の行動は内的原因(その人自身のせい)
原因は当の本人
と人は考えてしまうものなのです。
たとえば、
先生が教室でゴミ箱にけつまずいて中身をぶちまけてしまう。
床はゴミだらけ。
そこで先生は叫ぶ。
「だれだ! こんなところにゴミ箱を置いたのは!」
つまり、転んだのは、ゴミ箱を置いた誰かが悪い、原因は自分以外=環境のせいだと思うのです。
では今度は、生徒が同じようにゴミ箱につまずいたとする。
すると先生はきっとこう言うのだ。
「なにやってんだ! どこに目をつけてる!.......」
転んだのは、本人以外=環境のせいではなく、お前自身のせいだと考え、叱るのです。
これは、先生に限ったことではありません。
人は誰でも、自分に関する出来事は自分以外=環境のせい、
人に関する出来事は「その人自身の人格のせいだ」と判断しやすいものです。
たとえばあなたが、待ち合わせなどに遅刻したときは、どうするでしょう?
きっと「ごめんなさい。目覚まし壊れて。。。。電車が遅れて(事故で)。。。」
と似たような言い訳をしたことありますよね?
しかし、友達が遅れてきたときはどうでしょう。
今度は、「もう、いい加減だなぁ、時間にルーズで」などと思ってしまうものです。
このように、勝手に思い込みレッテルを貼る傾向が見られます。
ですので、わたしたちが忘れてはならないのは、
(普段)客観的に原因を認識していないということであり、
わたしたちが原因だと思い込んでいることのほとんどは
「見た目」と「思い込み」で勝手に作り上げられた原因に過ぎないということです。
行動分析学では「『個人攻撃の罠』に陥らないように」と警告していますが、
プロセス管理・行動管理などを行ったとき、
思うような結果が出せないような人間に対して人格的なものが原因だなんて判断をしてはならない。。
一度冷静に「その判断は勝手な思い込みかどうか?」考えてみるべきです。。。。。
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2007年11月8日木曜日
頭の中の矛盾。。。認知的不協和
部下のKが席に戻ってくる。。。
こっちに歩いてきて私の斜め右前の席に据わる。。。
そしてタバコの臭いだけが私の方へと漂いくる。。。。
何年もタバコを吸っていないと臭いを嗅ぐだけで不愉快になるものだ。。。。
まぁこんなことたいしたことではないのですが。。。
「タバコは体に悪い」これはみんな知ってることです。
歩きタバコは人に迷惑をかけるということも、
当たり前のことと認知しているものの、
喫煙者側は、「どこもかしこも禁煙にしやがって、外でぐらい自由にすわせろ!なんて思っている」ものです。。。。
実際に私もタバコをやめる前は、そう思っていましたから。。。。。
本当に嫌いな人にとっては悪臭(ウ○コのにおいなど)をかがされているのと変わらないというのに。。。。
まあ、「タバコを吸って太っている人間は自らを律することができない不摂生な意志の弱い(我慢ができない・だらしない)人間だ」と勝手に決め付ける(バイアスをかけてしまう)ことも、ままありますが。
さてそれは横に置いといて。。。
タバコは体に悪いと分かっているのにタバコを吸っている人は、
タバコを吸いたい気持ちと、体に悪いという情報との不協和(矛盾)をどのように解決しているのだろうか?
例えば、
「体に害があるかどうかははっきりしていない」と情報を歪めたり、
「ストレス解消になる」という新しい認知を持ったりする、
など考えられます。
このように、人は矛盾することを嫌っていろんなことをするもの。。。。
これを実証する実験がかつて行なわれた。。。
1ドルの報酬実験(1959)
社会心理学者フェスティンガー(L.Festinger)とカールスミス(J.M.Carlsmith)の実験。
○退屈な作業を1時間
ある2つの学生グループに「とても退屈な作業」を1時間続けてもらう。
○次のひとに「面白かった」とウソを言う
作業終了後にその2つのグループとは別の次に作業をするひと対して「作業は面白くてやりがいがあった」とウソ言う。
○謝礼1ドル組と20ドル組
そして1つのグループには、謝礼として1ドル。
もう1つのグループには、謝礼として20ドル支払う。
さらに報酬を支払った後、その作業についての質問をします。
○事後の質問「面白かったですか?」
「作業は面白かったですか?」
1ドルのグループと20ドルのグループ
どちらが「作業が面白かった」と答えたでしょうか?
報酬が多い方が良い回答をすると思われますが、実際は逆で
1ドルしかもらわなかったグループの方が「面白かった」と評価する傾向があったのです。
なぜ、そんな結果がでたのでしょう?
■20ドル=作業の対価としてとらえた。
20ドルの報酬を受けたグループは、「面白くない作業」というストレスを
20ドルという報酬で解消・正当化(作業の理由が明確化)され、事後の評価では、
ストレスのない状態だったので、自分の行為に対して正当化する必要もなかった
から、素直に「面白くなかった」と答えることができたのです。
そして
■作業>1ドル・・・理由がない・・・不快感・・・
1ドルしか報酬を受けてないグループは、「面白くない作業」というストレスは
1ドルという報酬では解消できません。となると「こんなつまらない作業に
1ドル程度のため1時間もの時間を浪費した」という自分の行為にストレス(不協和)
がのこり不快な状態になる。
そうすると無意識にそのストレスを解消するため「意義のある面白い作業」と思うことで、
正当化しバランスをとってしまったのです。
自己の正当化。。。
ひとは自分の行為に対して報酬や評価など外部からその理由を獲得できないときは
自分の内部で自分自身を肯定することでバランスをとるものです。
この実験の場合は、「退屈な面白くない作業」という事実が、自己の正当化のため
に「面白い作業」として歪められてしまってます。
しかし歪めた本人は、やっかいなことに正しいと思っているのです。
じゃあどうすればいい?
それは考えてみてください。
ヒントは「外部からその理由を与える」です。
※内容に多少、失礼な表現があるかもしれませんが、あくまでも社内コーチングブログの抜粋なのでご了承願います。
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こっちに歩いてきて私の斜め右前の席に据わる。。。
そしてタバコの臭いだけが私の方へと漂いくる。。。。
何年もタバコを吸っていないと臭いを嗅ぐだけで不愉快になるものだ。。。。
まぁこんなことたいしたことではないのですが。。。
「タバコは体に悪い」これはみんな知ってることです。
歩きタバコは人に迷惑をかけるということも、
当たり前のことと認知しているものの、
喫煙者側は、「どこもかしこも禁煙にしやがって、外でぐらい自由にすわせろ!なんて思っている」ものです。。。。
実際に私もタバコをやめる前は、そう思っていましたから。。。。。
本当に嫌いな人にとっては悪臭(ウ○コのにおいなど)をかがされているのと変わらないというのに。。。。
まあ、「タバコを吸って太っている人間は自らを律することができない不摂生な意志の弱い(我慢ができない・だらしない)人間だ」と勝手に決め付ける(バイアスをかけてしまう)ことも、ままありますが。
さてそれは横に置いといて。。。
タバコは体に悪いと分かっているのにタバコを吸っている人は、
タバコを吸いたい気持ちと、体に悪いという情報との不協和(矛盾)をどのように解決しているのだろうか?
例えば、
「体に害があるかどうかははっきりしていない」と情報を歪めたり、
「ストレス解消になる」という新しい認知を持ったりする、
など考えられます。
このように、人は矛盾することを嫌っていろんなことをするもの。。。。
これを実証する実験がかつて行なわれた。。。
1ドルの報酬実験(1959)
社会心理学者フェスティンガー(L.Festinger)とカールスミス(J.M.Carlsmith)の実験。
○退屈な作業を1時間
ある2つの学生グループに「とても退屈な作業」を1時間続けてもらう。
○次のひとに「面白かった」とウソを言う
作業終了後にその2つのグループとは別の次に作業をするひと対して「作業は面白くてやりがいがあった」とウソ言う。
○謝礼1ドル組と20ドル組
そして1つのグループには、謝礼として1ドル。
もう1つのグループには、謝礼として20ドル支払う。
さらに報酬を支払った後、その作業についての質問をします。
○事後の質問「面白かったですか?」
「作業は面白かったですか?」
1ドルのグループと20ドルのグループ
どちらが「作業が面白かった」と答えたでしょうか?
報酬が多い方が良い回答をすると思われますが、実際は逆で
1ドルしかもらわなかったグループの方が「面白かった」と評価する傾向があったのです。
なぜ、そんな結果がでたのでしょう?
■20ドル=作業の対価としてとらえた。
20ドルの報酬を受けたグループは、「面白くない作業」というストレスを
20ドルという報酬で解消・正当化(作業の理由が明確化)され、事後の評価では、
ストレスのない状態だったので、自分の行為に対して正当化する必要もなかった
から、素直に「面白くなかった」と答えることができたのです。
そして
■作業>1ドル・・・理由がない・・・不快感・・・
1ドルしか報酬を受けてないグループは、「面白くない作業」というストレスは
1ドルという報酬では解消できません。となると「こんなつまらない作業に
1ドル程度のため1時間もの時間を浪費した」という自分の行為にストレス(不協和)
がのこり不快な状態になる。
そうすると無意識にそのストレスを解消するため「意義のある面白い作業」と思うことで、
正当化しバランスをとってしまったのです。
自己の正当化。。。
ひとは自分の行為に対して報酬や評価など外部からその理由を獲得できないときは
自分の内部で自分自身を肯定することでバランスをとるものです。
この実験の場合は、「退屈な面白くない作業」という事実が、自己の正当化のため
に「面白い作業」として歪められてしまってます。
しかし歪めた本人は、やっかいなことに正しいと思っているのです。
じゃあどうすればいい?
それは考えてみてください。
ヒントは「外部からその理由を与える」です。
※内容に多少、失礼な表現があるかもしれませんが、あくまでも社内コーチングブログの抜粋なのでご了承願います。
ホームページ制作は、WEBアドバイザーズ
ホームページ制作は、WEBアドバイザーズ
2007年11月7日水曜日
第一印象は?。。。
「はじめまして。。。。」
如何にもブリティッシュテーラードといった感じのピシっとしたスーツに、
アイロンの利いた真っ白なワイシャツ。
喉元にキュッと絞められたヴィヴィアンウエストウッドのネクタイ。。。
髪型も短めで、クールな眼差しで、
いかにも「できる!」感じの人が私の目を見ながら名刺交換をする。。。。。。。
そのとき私は、「この人は仕事できるんだろうなぁ。。。。」
と何も知らないはずなのに勝手に思ってしまう。
まあ、そりゃぁそうだろう。。。。。。。。。
外見や、最初の自己紹介などで、
「第一印象」ができあがるものです。
いったん、第一印象ができあがると、
次からは、この「第一印象に合わせた対人認知」が始まる。。。
一度、良い人だと思い込めば、その人の良いことばかりが目に付くし、
いろいろなことを良い方向に解釈する。
最初に悪い人だと思い込んでしまえば、その反対のことが起こるのです。
これを説明する理論に「認知的不協和理論」や「原因帰属理論」というのがあります。
(これはまた次の機会に。)
良い人だと判断してしまえば、
その判断と矛盾する証拠や考えは不愉快なので(認知的不協和が発生するので)、
良い人だと思える証拠をさらに集め、
またさまざまな情報を良いこととして解釈するようになるのです。
(この傾向は対人認知だけにとどまらないのですが)
廊下であいさつをしたのに、相手がそのまま通りすぎた場合はどうでしょう。
相手を良い人だと思っていれば、気がつかなかったのかななどと考える(原因帰属する)。
嫌なやつだと思っていれば、オレを無視したなどと考える(原因帰属する)ものです。
あいつは嫌な人間だと、あなたが思っているとする。
なぜ、そう思うのか?
それは、あいつが嫌な人間だからだ。
そうかもしれない。
でも、もしかしたら、嫌な人間だと
あなたが勝手に思い込んでいる
だけなのかもしれません。
真実はいかに????
(より多くの情報を得るためにコミュニケーションをとるに越したことはない)
ホームページ制作は、WEBアドバイザーズ
如何にもブリティッシュテーラードといった感じのピシっとしたスーツに、
アイロンの利いた真っ白なワイシャツ。
喉元にキュッと絞められたヴィヴィアンウエストウッドのネクタイ。。。
髪型も短めで、クールな眼差しで、
いかにも「できる!」感じの人が私の目を見ながら名刺交換をする。。。。。。。
そのとき私は、「この人は仕事できるんだろうなぁ。。。。」
と何も知らないはずなのに勝手に思ってしまう。
まあ、そりゃぁそうだろう。。。。。。。。。
外見や、最初の自己紹介などで、
「第一印象」ができあがるものです。
いったん、第一印象ができあがると、
次からは、この「第一印象に合わせた対人認知」が始まる。。。
一度、良い人だと思い込めば、その人の良いことばかりが目に付くし、
いろいろなことを良い方向に解釈する。
最初に悪い人だと思い込んでしまえば、その反対のことが起こるのです。
これを説明する理論に「認知的不協和理論」や「原因帰属理論」というのがあります。
(これはまた次の機会に。)
良い人だと判断してしまえば、
その判断と矛盾する証拠や考えは不愉快なので(認知的不協和が発生するので)、
良い人だと思える証拠をさらに集め、
またさまざまな情報を良いこととして解釈するようになるのです。
(この傾向は対人認知だけにとどまらないのですが)
廊下であいさつをしたのに、相手がそのまま通りすぎた場合はどうでしょう。
相手を良い人だと思っていれば、気がつかなかったのかななどと考える(原因帰属する)。
嫌なやつだと思っていれば、オレを無視したなどと考える(原因帰属する)ものです。
あいつは嫌な人間だと、あなたが思っているとする。
なぜ、そう思うのか?
それは、あいつが嫌な人間だからだ。
そうかもしれない。
でも、もしかしたら、嫌な人間だと
あなたが勝手に思い込んでいる
だけなのかもしれません。
真実はいかに????
(より多くの情報を得るためにコミュニケーションをとるに越したことはない)
ホームページ制作は、WEBアドバイザーズ
2007年11月6日火曜日
認知。。。?。!!
「認知」
認知すると言っても、
突然女性に「あなたの子供よ!」なんて言われて、
焦ったあげくの果てに、
子どもを自分の戸籍に入れるという話ではありません。。。。
心理学の話です。。。。
たとえば
「あなたの隣にいる人はどんなひとですか?」
と聞かれれば、
やさしい人とか、怒りっぽい人とか、いろんなふうに答えられる---
そんなふうに、あの人は「こんな人」と判断することを、「対人認知」といいます。
つまりあの人の髪は薄いとか、太ってるとか、赤い服を着ているとかいう外見ではなく、
性格など目に見えない内面の判断を対人認知と言うのです。
まるで「発掘のときに見つかる破片」と同じ
あの人はやさしい人だと判断するのは、
判断するだけの何かの材料はあるのでしょう。
でも、その人の全てを知っているわけではない。
「やさしい」という心の中を実際には見ることはできません。
もちろん、その人の行なったこと全てを見て、
やさしい人だと判断しているわけではない。
わたしたちは、ある人の全てを知っているわけではなく、
実際に見たり、うわさに聞いたりした、その人の「ごく一部を知っているだけ」です。
でも、そのごく一部のばらばらの知識をつなぎあわせて、
その人の全体像を、自分の中で「勝手に」組み立てる。
そして、あの人は、やさしい人だとか、いじわるな人だとか、結論づけレッテルを貼るのです。
つまり、たとえるなら考古学者が、恐竜の化石の骨の断片を集めて、
元の形を想像しながら組み上げるようなもの。
自分のもっている知識や動物の骨格を参考に、成形していく。。。。。
対人認知もそのように、特殊な心の色眼鏡(いろメガネ)を使って、
ばらばらの情報を集め、焦点を合わせて、一人の人の人間像を浮かび上がらせるのです。
ところが、この心のメガネは、いつも少し歪んでいたり、曇ったり、色(バイアス)が付いている(がかかる)。
わたしたちは、その人についてのいくつかの知識(情報)を客観的に組み立てるというよりも、
「自分なりに」組み立て上げてしまうものです。
恐竜や古代生物の化石の断片が発掘されたときも、
学者が想像しながらいろいろな生物像を作り上げますが、
これまでに、ずいぶん間違った生物の形を作り上げてしまったことも多いのです。
心のメガネの歪みは、その人独自のものもあるし、多くの人が共通して持っている歪みもあります。
では、その共通する歪み(バイアス)とはどのようなものなのでしょうか?
外見と対人認知
心理学でも指摘されていることですが、
イケ面や美人は、外見が美しいというだけで「いい人」と思われます。。。。
異性であるなら好意や好感を持つのは当然。。。。
薄汚れたTシャツに短パン姿で不潔なヤツよりは、
スーツでビシッとキメたクールなヤツの方が信用できる。。。。
でもマッチョやグラマーは、ある意味外見が美しいけど「いい人」というわけではなく、
違う意味で魅力的であったりしてしまうかもしれません。。。。
私の友人で、やたらと太った人に好感をもつ嗜好のひともいたりする。
んっ?それは関係ないか?
心のメガネ:共通の歪み(バイアス)
人を色メガネで見る。。。
なんて表現きいたことありますよね?
外見で判断してしまう場合の「心のメガネの歪み(色メガネ)」で代表的なものは、
1:服装(ファッション)
人を判断するとき(対人認知するとき)、まず見るのが外見です。
アメリカの実験でこういうものがあります。
公衆電話のコインの返却口にわざと10セント効果を置いたまま、次の利用者と替わる。
そして、その人が出てきたときに、「10セント硬貨がありませんでしたか?」と聞く。
このとき、同じ人が、同じことを言うのですが、服装を変えて実験したのです。
「立派なスーツ」か、「みすぼらしい服」か。
すると、高価なスーツを着ていたときの方が、10セントを返してもらることが多かったのです。
服装の違いによって、正直な人、依頼に応じるべき人というふうに、判断してしまったわけです。
服で人を判断するなんて、ちょっと情けない話ですが、
でも多くの人間は相手の服装によって対人認知の内容が変わってしまうものなのです。
服装(ファッション)による対人認知(こんなひとと思うこと)のほか、
代表的な心の色メガネは
2:顔、体格
丸顔の人、ふっくらした人は、やさしい。
目の細い人は冷たい。
やせている人は神経質。
わたしたちは、相手の外見から直感的に、
相手の内面を判断してしまうものです。。。。。。
もちろん実際は、ふっくらしていても、
やせていても、いろいろな人がいるわけですが、
でも私たちは外見からある性格を感じ取ってしまうのです。
そこで、ドラマやアニメではこの人間の認知の仕方を利用したキャラクター作りをしています。
明るくて人情味あふれる登場人物は、たいていふっくらとした体形。
冷静なコンピューター青年などは、細長い体形で、メガネをかけたりしている。
ゴルゴ13は、細い目に、太い眉で、見るからに冷静で意志の強い感じする。
3:美男、美女
外見が美しいと、内面も優れていると判断されるというのは、
心理学でも実証されており、以前ブログで話したこともあります。
美人は、頭もいいし、性格もいいと思われてしまうのです。
みんなが息を飲むほどのすごい美人の転校生、OL注目の二枚目新入社員などなど。
こんなすばらしい容姿の人を見ると、私たちは、
その人がやさしくてさわやかな性格で、頭が良くて、
英会話なんかもペラペラだし、スポーツや楽器が得意で、
勉強ができる、仕事ができるというイメージをすぐに作り上げてしまうのです。
小さな子どもでも、容姿の良い子どもは、内面も良いと見られがちです。
模擬裁判の実験でも容姿の良い被告への判決は、
甘くなりがちであったという事実がありますし。
ただ、皆にそう見られることによって、その波動の影響でそんな人格になったりすることもあるでしょうし、
そう観られていることを意識して、そのように振舞っているうちにそんな人格になる場合もあるのですが、
これはまた別の話です。
参考文献:
R.B.チャルディーニ著
影響力の武器[第二版]
他、心理学関連書籍
ホームページ制作は、WEBアドバイザーズ
認知すると言っても、
突然女性に「あなたの子供よ!」なんて言われて、
焦ったあげくの果てに、
子どもを自分の戸籍に入れるという話ではありません。。。。
心理学の話です。。。。
たとえば
「あなたの隣にいる人はどんなひとですか?」
と聞かれれば、
やさしい人とか、怒りっぽい人とか、いろんなふうに答えられる---
そんなふうに、あの人は「こんな人」と判断することを、「対人認知」といいます。
つまりあの人の髪は薄いとか、太ってるとか、赤い服を着ているとかいう外見ではなく、
性格など目に見えない内面の判断を対人認知と言うのです。
まるで「発掘のときに見つかる破片」と同じ
あの人はやさしい人だと判断するのは、
判断するだけの何かの材料はあるのでしょう。
でも、その人の全てを知っているわけではない。
「やさしい」という心の中を実際には見ることはできません。
もちろん、その人の行なったこと全てを見て、
やさしい人だと判断しているわけではない。
わたしたちは、ある人の全てを知っているわけではなく、
実際に見たり、うわさに聞いたりした、その人の「ごく一部を知っているだけ」です。
でも、そのごく一部のばらばらの知識をつなぎあわせて、
その人の全体像を、自分の中で「勝手に」組み立てる。
そして、あの人は、やさしい人だとか、いじわるな人だとか、結論づけレッテルを貼るのです。
つまり、たとえるなら考古学者が、恐竜の化石の骨の断片を集めて、
元の形を想像しながら組み上げるようなもの。
自分のもっている知識や動物の骨格を参考に、成形していく。。。。。
対人認知もそのように、特殊な心の色眼鏡(いろメガネ)を使って、
ばらばらの情報を集め、焦点を合わせて、一人の人の人間像を浮かび上がらせるのです。
ところが、この心のメガネは、いつも少し歪んでいたり、曇ったり、色(バイアス)が付いている(がかかる)。
わたしたちは、その人についてのいくつかの知識(情報)を客観的に組み立てるというよりも、
「自分なりに」組み立て上げてしまうものです。
恐竜や古代生物の化石の断片が発掘されたときも、
学者が想像しながらいろいろな生物像を作り上げますが、
これまでに、ずいぶん間違った生物の形を作り上げてしまったことも多いのです。
心のメガネの歪みは、その人独自のものもあるし、多くの人が共通して持っている歪みもあります。
では、その共通する歪み(バイアス)とはどのようなものなのでしょうか?
外見と対人認知
心理学でも指摘されていることですが、
イケ面や美人は、外見が美しいというだけで「いい人」と思われます。。。。
異性であるなら好意や好感を持つのは当然。。。。
薄汚れたTシャツに短パン姿で不潔なヤツよりは、
スーツでビシッとキメたクールなヤツの方が信用できる。。。。
でもマッチョやグラマーは、ある意味外見が美しいけど「いい人」というわけではなく、
違う意味で魅力的であったりしてしまうかもしれません。。。。
私の友人で、やたらと太った人に好感をもつ嗜好のひともいたりする。
んっ?それは関係ないか?
心のメガネ:共通の歪み(バイアス)
人を色メガネで見る。。。
なんて表現きいたことありますよね?
外見で判断してしまう場合の「心のメガネの歪み(色メガネ)」で代表的なものは、
1:服装(ファッション)
人を判断するとき(対人認知するとき)、まず見るのが外見です。
アメリカの実験でこういうものがあります。
公衆電話のコインの返却口にわざと10セント効果を置いたまま、次の利用者と替わる。
そして、その人が出てきたときに、「10セント硬貨がありませんでしたか?」と聞く。
このとき、同じ人が、同じことを言うのですが、服装を変えて実験したのです。
「立派なスーツ」か、「みすぼらしい服」か。
すると、高価なスーツを着ていたときの方が、10セントを返してもらることが多かったのです。
服装の違いによって、正直な人、依頼に応じるべき人というふうに、判断してしまったわけです。
服で人を判断するなんて、ちょっと情けない話ですが、
でも多くの人間は相手の服装によって対人認知の内容が変わってしまうものなのです。
服装(ファッション)による対人認知(こんなひとと思うこと)のほか、
代表的な心の色メガネは
2:顔、体格
丸顔の人、ふっくらした人は、やさしい。
目の細い人は冷たい。
やせている人は神経質。
わたしたちは、相手の外見から直感的に、
相手の内面を判断してしまうものです。。。。。。
もちろん実際は、ふっくらしていても、
やせていても、いろいろな人がいるわけですが、
でも私たちは外見からある性格を感じ取ってしまうのです。
そこで、ドラマやアニメではこの人間の認知の仕方を利用したキャラクター作りをしています。
明るくて人情味あふれる登場人物は、たいていふっくらとした体形。
冷静なコンピューター青年などは、細長い体形で、メガネをかけたりしている。
ゴルゴ13は、細い目に、太い眉で、見るからに冷静で意志の強い感じする。
3:美男、美女
外見が美しいと、内面も優れていると判断されるというのは、
心理学でも実証されており、以前ブログで話したこともあります。
美人は、頭もいいし、性格もいいと思われてしまうのです。
みんなが息を飲むほどのすごい美人の転校生、OL注目の二枚目新入社員などなど。
こんなすばらしい容姿の人を見ると、私たちは、
その人がやさしくてさわやかな性格で、頭が良くて、
英会話なんかもペラペラだし、スポーツや楽器が得意で、
勉強ができる、仕事ができるというイメージをすぐに作り上げてしまうのです。
小さな子どもでも、容姿の良い子どもは、内面も良いと見られがちです。
模擬裁判の実験でも容姿の良い被告への判決は、
甘くなりがちであったという事実がありますし。
ただ、皆にそう見られることによって、その波動の影響でそんな人格になったりすることもあるでしょうし、
そう観られていることを意識して、そのように振舞っているうちにそんな人格になる場合もあるのですが、
これはまた別の話です。
参考文献:
R.B.チャルディーニ著
影響力の武器[第二版]
他、心理学関連書籍
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