2007年11月29日木曜日

あのひとには「花」がある。。。

あの人には「花」がある。

なんて「本当」の意味を知らないのに、(なんとなく)

こんなセリフを言っていたりするのですが。。。

この巷で言われている「花」というのは、世阿弥の「花伝書(風姿花伝)」から来ているのだと思います。

世阿弥の「花伝書」は今から600年前に書かれたもの。

その花伝書には、

人の心を打つ本質的なもの(人に感動を与える力)を「花」とあらわしている。

その「花」に関してですが、以下のように書かれています。

「珍しいものには、珍しさの花がある。
人は一瞬その花に惹かれるが、
それはまことの花ではない」


珍しいもの=「時分の花」

たとえば、新しいテーマパークができたとする。

鳴り物入りでオープンしたが1年で顧客がいなくなる。

なんて話は良く聞きます。

なぜなら、オープンした時は、珍しさの花がある。

しかし、それは長続きしない。

それは「まことの花」でないから。。。

ここで言う「まことの花」とは、「永遠にお客様を魅了し続ける力」。

店舗経営で言うならば、珍しさの花があるのは、4~6ヶ月といったところ。

その間にコミュニティを作るなど軌道に乗せる工夫が必要となる。

その工夫を考えるのが重要だということ。

花伝書には、

少年は美しい声と姿をもつが、それは「時分の花」に過ぎない。

能の奥義である「まことの花」は心の工夫公案から生まれると説く。

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」として『風姿花伝』の内容は長らく秘伝とされてきた。

これ以外にも、『序・破・急』は劇作法、演技、舞台美術、音楽をすべてこの構成にするというものが書かれていますが、

その内容は、現在、演芸や漫才・CMや映画の構成そのものなのです。

人を飽きさせないで物事を伝えるのは学校でならった「起承転結」ではないということ!

「結」で終わってしまうようでは、「動」となる働きかけが必要。。。。


「序」が導入部で注意を引き興味を持たせる。

「破」が「序」を受け継ぐ展開部でより心を惹きつけ感情を動かす。

「急」で加速し終結に至るところで相手のレスポンスやリアクションを引き出す。





珍しさと心地よさ。。。

(アメブロ限定記事)



部分出典:小阪裕司著「失われた売上を探せ!」  

      世阿弥、水野 聡 現代語訳 風姿花伝


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2007年11月28日水曜日

チームの活性化に必要なこと。。。

人間関係は意外と複雑なことよりも子供でもできるような単純なことでうまくいったりする。

チームの活性化に必要な「単純なこと(意識や心がけ)」とは何か?

チーム活性化の心がけ

挨拶をちゃんとする 

ほめる(感謝する) 

整理する  

悪口を言わない  

認める  


そうすると心理学的にも潜在意識的にも人間関係が良好になり、チームが活性化したりする。

単純すぎることで当たり前すぎてバカバカしさを感じるかもしれないが、結構そんなもんなんだよね人間関係って。。。。

逆に人間関係を壊したいなら、

挨拶をしないで感謝しないで散らかして悪口を言いまくって認めなければ壊れるよ。
(by川本 五十七 って 嘘)。。

っていうか、嫌われるって。。。。




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訪問先で。。。

訪問先でエレベーターのボタンを押す。。。

1Fにとまっていたエレベーターのドアが開く。

それにのって目的の階のボタンを押す。。。

ドアが閉じて上に上がりだす。。。。

ピンポン

目的のフロアに到着。エレベーターのドアが開く。。。。

その会社の受付や事務所の風景が。。。。。

(ん~。。。この会社「セピア色(感覚的:覇気がないの意)※」だ。。。。)

※建物や什器備品の新しさというものもあるかもしれないですが、それが新しくても結構感じたりするもので、掃除が行き届いてないとか、喫煙環境とかも関係しているかもしれない


訪問先の会社の状況は話を聞かずとも色々観察しているとわかってくるものです。。。

たとえば挨拶について。。

古代。原始時代。

見知らぬ人間どおしが鉢合わせた場合、

敵対しない意志表示としてお互いに示す行為が挨拶に変って言ったというようなことを何かの文献で読みました。

とすると裏を反せば、挨拶をしないということは、相手に心を開かないで敵対する可能性もあるという状況のままであるということ。。。

当社のように、挨拶がある意味義務化(習慣)されているような場合はあてはまらなくなりますが、一般的に職場内で挨拶をしないような状況にあると人間関係は良好でないのは当たり前で、生産性も悪い。。。。。

だから客先で商談しているような場合、

その訪問先での挨拶状況を観察してみるのもいいかもしれません。。。

社員や出入りの取引先との挨拶がうまく行なえているならいいのですが、

そうでないなら、その会社の状況は、あまりいいものでないか、

いまは良くてもいずれ悪くなるかのどちらかです。。。。









よかったら、時間があるときにルームの映像(サ・シークレット:約25分) を見てください。。。
人生が変わるきっかけになるかもしれません。。。






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認める。。。

とあるミーティング。。。

ミーティングテーブルのお誕生日席に座る「エライ」人が持論を展開する。。。

そして他の人間の発言を促す。。。

出席者はひとりひとり指名され発言するのだが、その意見をことごとく否定から論破するエライひと。。。

もはやコミュニケーションが成り立っていない。。。。

そんな非建設的なミーティングは早く終わって欲しいものだが時間も続く。。。。。。。

その程度の内容なら数分で済んだはずなのに。。。

あの2時間は無駄どころでなくマイナスだった。
(体力が奪われ、モチベーションも奪われる)。。。

※このSCENEはフィクションです。

長い間仕事をしていれば、こんなシチュエーションに遭遇することが結構あったりするものです。。。。




ひとはどこかしら孤独感がある。

人に興味をもってもらいたいと思っている。

認めてもらいたい(関心を持って欲しい)と思っている。




いままで出会った人で尊敬する人は?。。。

会社や職場やプライベート(学校)でもいい、「出会った人」で尊敬しているひとを思い浮かべてください。



必ず一人はいるのではないでしょうか?


それはどんなひとでしたか?。。。。。。。。。。。。。。。




そのひとは!

自分ことを「認めてくれた」ひとではないですか?

自分のことを良く教えてくれた(面倒みてくれた)とか。
評価してくれたとか。
相談してくれたとか?


ほとんどの場合、認めてくれたり関心を持ってくれた人を尊敬しているのではないでしょうか?




尊敬している人に対しては、信頼をすることになる。


そして尊敬している人に、より一層注目してほしいなら、期待に応えようと自発的に動くようになる。




だから、まわりの人間との信頼関係を構築し、まわりの人間の能力を引き出したいなら、「認める」ことです。。


アルバイトと正社員の違い。

よくアルバイトと正社員の違いは何か?と質問すると、「責任感」が違う。という答えを耳にします。

しかし、本質的には雇用のかたちが違うだけ。。。

実は、能力を認め、情報を与え、任せるとアルバイトでも積極的に仕事をするようなことがあります。

逆に言えば、能力を認めず、情報も与えず、任せなければ正社員であっても積極的には仕事をしなくなるのです。

能力を引き出さず、認めないコミュニケーションのかたちは、人の意見に対して、すべてBUTで答えるということ。。。

人の意見を否定から入る。。。人を尊重しない。。。人の能力を認めない。。。

そんなに自分が「偉い」「頭がいい」ということをひけらかしたいのだろうか?

地位があろうが無かろうがそんな人、私は反射的に軽蔑してしまうのですが、ひょっとするととても「気の毒なひと」なのかもしれない。。。

だから反射的に軽蔑しないで、寛大な気持ちでいられたらいいのですが。。。まだまだ修行が足りない。。。。

「認める。」これはチームの人間関係において必要なことではあるが、対外的にも意識するべきだと思います。

巷でコンサルティングが営業で必要だ!なんていわれるけど、いくら自分が知識があるからといって上から目線でお客様に正論を言ったりしたら、お客様も反発するだろうことは意識しておいた方がいいでしょう。。。

発言するその分野のプロ中のプロであるなら問題はそれほどないかもしれませんが、往々にして自分の専門分野の範疇を超えた会話になりがちだからです。。。

年下の生意気なヤツって普通は嫌われるものだから(若いひとに上から目線で話されたら、普通は気持ちいいものではない)。。。

意外とこんなことも解らない人多いんですよね。。。。。





よかったら、時間があるときにルームの映像(サ・シークレット:約25分) を見てください。。。

人生が変わるきっかけになるかもしれません。。。



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整理する。。。

頭の中でイメージしてみてください。

①整理・整頓・清潔な部屋
 日曜日の昼下がり、そこに夫婦がいる。


 設定は、これだけ、どのような状況がイメージされ
 どのようなストーリーが頭に浮かぶだろうか。。。。。
 (そこではどんな会話がされているのだろう。。。)

 (最低でも1分間ぐらいイメージ。。。。)



②煩雑・不潔な環境
 日曜日の昼下がり、そこに夫婦がいる。


 こんどはこの設定でイメージしてみる。。。




イメージできたでしょうか。。。。
想像力が乏しければちょっと無理かもしれませんが

殆どの場合(異常な発想をする人間でなければ)

①の整理・整頓・清潔な部屋で展開されるイメージは落ち着いたシチュエーションでストーリーが展開され

②の煩雑・不潔な環境ではギスギスした関係や喧嘩などしているシチュエーションがストーリー展開されるかそれに類似したような物語が展開される。。

人間は心の状況が環境に現れてしまうもので、その逆に周りの環境に心理が影響する。

だから心が荒んでいれば散らかしてしまうものだし、散らかっている環境では。ますます荒んでいく。

そして目に映るものや外部からの情報はすべて否定的な観点からとらえてしまうようになる。。

物事をネガティブにとらえる癖がある人間は、結構整理整頓が下手なもの。。。
(これは私の偏見かもしれないが、知っている範囲ではそうです)。。。

人間関係や自分の心理状況を良くしたいなら、整理・整頓・掃除などで周りの環境を良くすることは、確実に効果があると言えます。

だから、家族で住んでいるなら、家の掃除は自らやってみましょう。。。
事務所でも整理・整頓は人間関係や仕事の進捗に重要であるということは言うまでもない。。。


といいながらも帰宅して自分の部屋に入る。
「うわぁ!」本に埋もれた部屋。。。。
人に言うよりまず自分が整理しろっ。。。。。



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悪口。。。

「みんな出世欲なくなったよな~。。。最近の若いやつは野心というものがないのかなぁ~」

なんてぼやいている管理職らしきサラリーマンのセリフを耳にする。

それを聞いてて思う。。。

彼らがそうなったのは、ひょっとするとアンタのせいではないか?



会社や上司や商品の悪口をやめる


悪口の対象となるような問題点は上司や上層部しか解決できないものだ(が多い)。

しかし、悪口というものは、だいたい横のつながりで行なわれる。

結局、問題点というのは横のつながり(同レベル)では解決できない

だからストレスを発散するようなシチュエーションで悪口を言ったりするのですが、それを言ったところで何も解決しない。

逆にの発言をすることで潜在意識にの要素を刷り込んでいくようなものだ。
(ヒポクラテスへの回帰連続5話を参照)
ヒポクラテスへの回帰1  ヒポクラテスへの回帰2   ヒポクラテスへの回帰3
ヒポクラテスへの回帰4  ヒポクラテスへの回帰(番外編)

もっと最悪なのが、その問題点を部下や後輩に言うこと。

そうすると下の人間は一生懸命働く気持ちを削っていってしまう。

一生懸命働いてその上司の役職になろうと思わなくなってしまう。

夢がなくなってしまう。

悪口。。。これは私も多いに反省すべきところ。。。

なにせ私も上司の悪口言いまくっていたものだから。。。

世の中に完璧な存在というものは、よっぽど単純なものでない限り存在しない。完璧な人間なんて存在しない。

たとえば、ある上司がいて、その人は7割良いところがあり、3割悪いところがあるとすれば、突っ込まれるのは3割の悪いところだけ。

その上司は、案外その悪いところには気がついているかもしれない。

もし部下がその悪いところを補ってくれるのであれば非常にたすかるもの。

そして自分をサポートしてくれるのだから逆にサポートもするようになる。

自分をサポートしてくれる人というものは、殆どいないから貴重な存在となる。


しかし悪口ばかり言う人間はどうなっていくのだろうか?

一般的に自分の悪いところは自覚していても、他人に指摘されると腹が立つもの。

それが自分の後輩ならばなおさらです。

その人間は自分のサポートをするのではなくアンチプロモーションをしている。。。

そうなればのようなもの。。。

絶対にサポートできない。。。

力を与えたくない。。。

ということになる。。


ではサポートできるほど近くにいない存在はどうする。。。。

結局自分ではどうにもできないのだから、何も言わない方がいい。。。

潜在意識的に自分のためにもならないし、それを聞いた周りの人間からの評価も下げることになるし、周りの人間にも良い影響を与えないから。。。。

もし後輩や部下が夢を失っているようなら、それはひょっとすると自分の責任ではないだろうか?と自問してみよう。。。。

もし心当たりがあるなら、今日から負の発言はストップするようにしたほうがいい。。。。

いずれにせよ。自分のためにはならないから。。。。。。



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2007年11月27日火曜日

SWOT分析やPPM 

学生時代、

「じゃあこの会社のケーススタディをSWOT(スウォット)分析して!」

なんて教授に指示され

とりあえず分析してみようとする。。。

「強み」と「弱み」か。。。

ん?

この「強み」と「弱み」って!

どこからどこまでが強みでどこからが弱みなんだ~?

なんか良くわからないからテキトーにやってみるかぁ~。。。オイオイ。。。


経営学やマーケティングを学んだことがあれば経験することですが、必ずこのような分析ツールを使うにあたって「ちょっとおかしいぞ?」と違和感を感じるものです。。。

経営コンサルタントや経営企画の人間が社長にプレゼンするとき良く出てくる分析手法がSWOT分析やPPM。

4分割のマスで分析結果を示すものでよく目にするのですが。

それぞれを簡単に説明すると、

SWOT分析は内部環境における強み・弱みと外部環境における機会・脅威を分析するもの。

外部環境・・・日本語的にはおかしいけど(環境という言葉=「外部」を意味するから、外部外部みたいな)。。。
まあ環境でなく要素・要因とした方が解りやすいのですが。。。


PPMは商材や事業を花形・金のなる木・問題児・負け犬と分類して分析するツール。

いずれも4つのブロックに分類するのですが、SWOTでの強みと弱みの境界線の基準とかPPMの「花形」と「金のなる木」の境界基準は、明確でない。。。

だから分析者の解釈によって左右されることになり、分析結果がそれなりにわかりやすく説得力があるからそのまま鵜呑みにしてしまうといったことがままあるのです。。。

ですが、その分析内容は分析者の価値観や解釈の仕方がもろに反映されてしまう。。。。

たとえば、市場成長率が高いのと低いのとの判断だが成長率10%だとすると、それが高成長率なのか低成長率なのか?は分析者の勝手な解釈で決めることになってしまうのです。。。

心理学でも指摘されていることですが、これらの4つのブロックに分ける手法は、予め分析者の仮説を証明したいがための結果がでるように誘導しがちなもので、客観性が充分でないと全く同じデータで逆の結果を説明できたりするのです。

データを公平に判断できないで主観的にとらえてしまう。

人間として自分の望む結果に関連しそうなものに注目しそれ以外は無視してしまうというのは、当然の心理なのです。

境界があいまいな上に客観性がない。。。。。

だから、今後研修などでこれらの分析ツールを使った説明を聞く際は、現状分析のツールとして使っているんだなぁ程度でとりあえずそんなもんだなぁと思って いればいい。。。ですが分析結果はバイアスがあるか疑った方がいい場合もあります。説得力はあり納得もしてしまうのですが。。。

2007年11月26日月曜日

鏡やブーメランのごとく

誰の心の中にも

もっとも深く根ざしている願望

自分の本当の価値を

認めてもらいたいということです

他人の価値を認めなさい

そうすれば

あなたも認めてもらえます


byジョセフ・マーフィー


誰かに何かを与えれば、誰かからその何かをもらえるものです。

仮に何かがほしいのなら、まず誰かに、その何かを与えること。。

認めてもらいたければ、他の人を認めることを習慣にすることです。






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2007年11月22日木曜日

ニーズありきではない!

いいかみんな。
消費者というものには、
「ニーズ」なんてのはないんだよ。

消費者ってのは、
欲求はもっているんだけど、
曖昧模糊としているんだよ。

「こういう二輪車に乗りたい」とか、
そういう具体的なニーズというのは、

ほとんど持っていないんだよ。
俺たちがそれを形にしてやらないとな。


by本田宗一郎


本田さんは本質を感覚的に理解していたということなのでしょうか?

「これからは、顧客のニーズに対応した顧客志向でなければダメだ」

なんて解ったふうのことを言う人が結構います。。

ニーズとウォンツについての定義はあまり意味が無いのでここではニーズを主に必要性(必需)というストレート
な意味で使います。

私は、顧客志向である必要はありますが、ニーズ(必要性)ありきで顧客にそのニーズ(必要性=需要)を聞くような姿勢で行なう事業には、規模(大資本)を利用できない限り、将来はないと思っています。(コモディティ化する)

一見、ニーズに対応しているビジネスも実際は、

そのニーズは顧客は把握していなかったというものが多いのです。

例えば店舗向けの深夜対応の畳屋雑貨屋ブルドック が話題になっていました。

「ニーズ」があるから。。。。と。。。。

これらは顧客の声やアンケートからは実現できなかった事業でしょう。。。

(仮説を立てて詳細にわたるアンケートを行った場合は、潜在需要を見つけることができたりしますが)

本質はニーズに対応したのではなくニーズ(潜在需要)を「かたち」して顧客に働きかけたり、ウォンツ(欲求)に対応している。。。。ということに気づくべきなのです。。

そりゃそうでしょ!

世の中にないものに対してニーズなんて気がつかないでしょ普通は!

お客様は自分の潜在需要(ニーズ)が何かなんて自覚していないものです。気づかせないかぎり。。。

でも「ニーズ」で人によっていろいろな解釈で使ってますね。。。





さて、ニーズ(必要性)ありきの姿勢での事業に将来性がないと言ったことについてですがが。。。

単純に利益や価値という指標で説明してみることにします。

ではまず質問です。

①今あなたが(買える)必要なモノを5個思い浮かべてみてください。。。。

(         )
(         )
(         )
(         )
(         )



②今あなたが(買える)欲しいモノを5個思い浮かべてみてください。。。。

(         )
(         )
(         )
(         )
(         )

いづれも、この(買える)はローンも含みます。。。。。













さあ、①と②の総額はどうでしょう?


当然のように②の方が圧倒的に高かったですよね?

①がニーズ(必要性)で②がウォンツ(欲求)どちらが価値が高く商売としても利益が高いかは歴然としています。

それに必要性(ニーズ)が高ければ必需品となり、どこでも手に入るものとして競争が発生し価格は下落し、安くてどこでも手に入るもの=コモディティ化するものです。



それでは、今あなたの家のドライヤーが壊れていて、(必要ということで)ドンキホーテに買いに行ったとします。

はたしてあなたはドライヤーだけ買って家に帰るでしょうか?

統計的には8割以上の確率で余計なものも買っていくことになります。。。。。

この余計なものは、事前に発生しているニーズではありませんよね。。。。。

店舗を歩いているときにニーズに気づいたり、欲しくなったりしてモノを買っている。。。。

店舗自体がニーズ(潜在需要)をかたちにしたり、ウォンツ(購買欲求)を演出したりしているからです。

マーケットインや顧客志向という考え方もそれを語る人の言葉(私の意見も含めて)をそのまま鵜呑みにしてはいけない。


分析結果など心理学的には持論の仮説へと誘導するようなことが多く、錯誤することがあるからです。

その本質を見抜かないと。。。。

※ここでのニーズ・ウォンツは文脈によってそれぞれ違った意味があります。でも理解しやすいので便利な言葉ですね。あえて定義はしませんが。。。



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2007年11月21日水曜日

「こころ」を変える。。。

世の中には、さまざまなテクニックを紹介する情報が氾濫してます。

ですが、それらのテクニックを知っていても本物でない限り

所詮、張子の虎のように、すぐに化けの皮が剥がれてしまうものです。

本質的には、心をセッティングする・入れかえる・変るということです。


一般心理学の父と呼ばれるウィリアム・ジェームズ(1842 - 1910)は、こんなことを言ってます。

が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。」



ここでいう「心」とは「本質的な心」で、「魂(不動なもの)」に近い意味だと思います。

ある意味、「潜在意識」というものに近いものと認識していいでしょう。

それに対して、

「気持ち」に近い「心」は、実は移ろいやすいもので、

これは状況によってコロコロ変わるものといえます。

女心と秋の空」というところの「心(移り変わるもの)」に該当するのがこれです。


「魂」や「潜在意識」に近い心を変えていくことで運命も変わるという話でした。。。

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2007年11月20日火曜日

意外と自分のことを解ってない。。。

いまから2○年前。。

夜の新宿ロフトでのライブを控え、

リハも終わり気分転換と食事をかねて外に出る。。。

木枯らしの吹く初冬の新宿の街、

スリムタイプの革パンに容赦なく凍てつく風が吹きつけ、

体温を奪っていく。。。

革ジャンの襟を立てて、

うつむき加減でとぼとぼ歩いているとふと目の前に行列が現れる。。。。

『何の行列だろう?』

その先を目で追ってみると、伊勢丹の角。。。。

『あぁ、新宿の母か(有名な占い師)。。』

そういえば、あのひとすごくあたるらしいなぁ。。。

おそらく私も観てもらえば、当たっている!すごい!なんて思うのだろうなぁ。。。

興味はあったものの、行列の長さを見て、時間の無駄ということで通り過ぎる。。。

占いをみてもらうほどの悩みはかかえてはいなかったから当然か。。。。


占いが当たる。当たらない。

この判断は、自分が自分自身をどのように評価していてその評価と同じかそうでないかが基準となる。

では、その自己評価はというとどうなのだろうか?

実は、この人間の自己評価のいい加減さについて50年ほど前に心理学の実験が行なわれていたのだ。。。。



1949年、バートラム・フォーラーとう心理学者が「人間の自己評価のいい加減さ」を証明する実験をした。

その実験は

まず、被験者(学生)を集め性格診断テストを実施。

後日、診断結果レポートを渡し、どれだけ当たっているかの評価を集計した。

実はこのテストの内容はどうでもいいダミーで、診断結果レポートは、すべて同一のものを全員に渡したのだ。。。

その結果は。。。。




1949年、バートラム・フォーラーの実験で使われた性格診断テストの診断結果レポートですが、

このレポートの内容は駅のキオスクで買った占いの雑誌からの抜粋で以下のような内容だった。。

---------------------------------------------------------
あなたは

・かなり非現実的な野望を抱いてしまうことがある

・外交的で愛想がよく、付き合いがいいときもある反面、内向的で用心深く、引きこもってしまうこともある

・自分を素直に出しすぎてしまうのもあまり賢明ではないということを、これまでの人生経験の中から学んできた

・自分の考えをしっかり持っていて、根拠なしに人の言うことを信じ込んでしまうことはないと自負している

・ある程度の変化や自由を好み、縛られたり制限されたりすると不満を感じる

・これまでの人生の選択や行動は本当に正しかったのだろうかと疑問に思うことがある

・外見は自身があるように見えるけれども、心の中はくよくよしたり不安になってしまう面がある

・セックスの欲望がうまく適応させることができないことがあった

・性格に多少の弱点があるけれども、たいていはそれを埋め合わせることが出来ている

・自分のなかにはまだ掘り起こされていない才能が眠っている

・自分に対して厳しすぎるところがある

・人から好かれたい、認められたいという欲求が強い

------------------------------------------------------------

その結果は。。。


仮説:「人間の自己評価はいい加減だ」

結果は狙いどおりだった。。。

被験者はポイント満点で、平均4.3ポイントという高い評価で「当たっている」としていた。

86%の的中率ということだ。。。

そして被験者のなんと41%「完璧に自分に合っていて、この性格テストはスゴイ」とまで評価したということだ。

その30年後の1990年頃にも同じようなテストをしたが結果は同じ。。。。

結局、人は自分自身のことは解っているようで、案外アバウトないいかげんなものだということが証明されたのだ。。。

人はだれでも自分は騙されないと思っている。。。

しかし、自分自身の自己評価は、いい加減だ。。。

だから、なにかしらソレらしい行為(たとえばタロットカードや水晶や手相を見るに似た診断するような行為)をしたあとに、診断結果のようなことを言われれば「当たっている!」などと思ってしまう。まさにこの実験と同じ状況。。。

占い師の仕事。。。それは「当てる」ことが仕事でなく、悩みを自分で解決するための手助けや前向きに生きることの手助けをするという一種のセラピストのようなものだと思う。ひとを癒す・導く仕事は有益だ。。。

しかし、占い師やセラピストでもないのにこのような状況で自分のことを言い当て、「数ヶ月後に何がしかの禍が。。。」などといい、それから身を守るために云々という話が出てきたら警戒すべきだ。。。。

大体が高価な装飾品などが出現してくるものですから。。。。。(いわゆる霊感商法というやつ)

そういう行為(高額商材の押し売り)をしない、人を癒すようなスピリチュアルな仕事をしている人に対する批判をいう人は多くいますが、そのような批判は折 角ひとをプラスに導こうとする行為を阻害することになるので、その価値観(スピリチュアルなことを否定する価値観)を人に押し付けるようなマネはするべき でないと思います。

量子論的には否定できない世界もあるのですから。。。



出典:「一瞬で信じ込ませる話術」石井裕之著
一瞬で信じこませる話術コールドリーディング







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2007年11月16日金曜日

聞く。。。

プロジェクトの一環で土曜日にさまざまな部門の中堅幹部が集まり、グループ討議などが行なわれた。。。

オブザーバーとして 私は参加し、その主席者のやりとりの中で非常に気になったことがあるのです。



それは、

人の意見にかぶせた発言をする人間の多いこと多いこと。。。。

社風として自己主張をすることが「是」というところもあって、

自分の主張を通そうとする意志が働くのかもしれない。。。

それは置いといて。。



きき上手。

あえてここでは「ひらがな」にしましたが、

日本語で「きく」といった場合には、コミュニケーション上でも意味では。

「聞く」・「聴く」・「訊く」

などがあります。

「聞く」
~ 普段使われている「聞く」で、どちらかというと「受身」で消極的なものです。


「聴く」
~ 耳を傾けるという、聞くよりも「積極的」なもの。


「訊く」
~ 訊ねる、質問するというもので、具体的に働きかけるもの。

コミュニケーションで大切なのは、二番目の聴くことで、

これが上手ければ聞き上手ということになります。

つまりは「聞き上手」よりも「聴き上手」になることを目指すべきではないでしょうか?


相手の話に関心をもって聴いているときの自然なリアクションがあいづちです。



聴き上手の基本はあいづちのうまさです。

以前、頷き力として紹介しましたが、聴き上手な人は、

相手の話をさえぎるようなことはしません。

聴き上手の発する言葉は、意見ではなく、あいづちがほとんどです。

「うん」「ええ」「はい」「へぇ」「なるほど」といったあいづちを打っていくことで、相手の話のリズムに乗ってく。

相手の話したい、聞いてほしい欲求が強ければ強いほど、あいづちだけで会話が進むものです。

あいづちは、相手の話を聴いていますよ、理解していますよというサインになる。


相手の目を見る

大切なのは、相手の目を見てあいづちを打つこと。

相手を見ずにあいづちを打っても、聞いてはいるが、聴いてることにはならない。

ダブルバインド にはならないように!



あいづち


「うん」とか「ええ」といったあいづちよりも、

少し上級のあいづちに相手の話した内容をリピートする方法もある。


相手が「大変だったのよ」と言ったら「そっかぁ、大変だったんだね」と返す。

ここで重要なのは、できるだけ相手の言った言葉で返すということ。

「大変だった」に対して「辛かったんだね」と言葉を変えて返すと、

「いや、辛くはなかったよ」となってしまうことがあるからです。

また、相手の言ったこと全てをそっくり返し続けると、

相手はバカにされているように感じてしまうので、

返す部分を選ばなくてはならない。

相手の使った言葉で、要点をつかんで短く明確に返すことが大切なポイントとなります。

正確な繰り返しをもらった話し手は聞き手がちゃんと話を理解してくれているなと感じることができ、

話を続けやすくなるものです。

このあいづちの仕方が良いと相手からの信頼を獲得することにもなります。


視線の移動

相手の目を見続けても視線が静止していたら、

目が無表情になることが多いので相手に不信感を与えてしまうこともあります。

そこである程度の会話の節目で目線を相手の右目から左目、

左目からくちびる、唇から右耳、右耳から左耳、左耳から右目など移動させる

というのも高度なテクニックです。

これらは、日頃意識して習慣化しなければ使うことはできません。。

※テクニックやノウハウはその手法を知っているというだけでは、意味がありません。
あくまでも参考とするレベルでとらえてください。
なぜなら使えることができても、対人関係に関わることならば効果がない場合が多いからです。
本質は違うところにあります。まずは心をセッティングする・入れかえる・変ることで本物になることです。

2007年11月15日木曜日

反省するな!。。。。。

行動分析学やスポーツ心理学、コーチングなどで、

近年、盛んに言われていることですが、

後悔することと反省することは、反復すればするほど、

問題やミスの発生件数を増やすという因果関係が事実として存在しているのです。


なぜか?

単純に言えば、

後悔や反省は「負のイメージトレーニング(ある意味、負の自己暗示)」

をしているようなものだからです。

つまり、やってはならないミスを何度もイメージさせる=失敗しやすくなる。。もう最悪。。。。

私のボキャブラリーがないので表現しづらいのですが、

後悔や反省=自分を「責める」ということは、心理的マイナスでしかなくプラスに転ずることが難しくものです。

だから、殺す思考よりも活かす思考であるべきです。

後悔や反省して自分を責めるのではなく、

失敗やミスをしたときは、やってはいけないことが解った!

避けなければならない行動が解った!

だから選択肢が2つだった場合には、

この失敗で上手く行く方を選択することができるようになった!

とか、複数の選択肢があったならば、その選択肢が狭まった!

などと考えることによりもともとプラスとして思考することができるのです。

人を指導する側に立って、

生徒に対し後悔や反省を促すような指導の仕方は、

失敗に対する恐怖感だけならまだしも

行動すること(やってみること)」自体躊躇させてしまうことになります。

とうぜん生徒は積極的に自ら物事を考えて何かをしようなんて「余計なこと」はしなくなる。。。

結果として言われたことだけやるようになってしまう。。。。。

だから、能力を引き出したいなら、

後悔や反省する=自分を責める!よりも、

その行動(ミスや失敗)で何かヒントを得て役立てることを考えるよう習慣づけることです。。。

どうして自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。

byアインシュタイン


過去の記憶がお前に喜びを与えるときにのみ、
過去について考えよ

byオースティン

反省が「罰」であり、代償を負わせたままにするという目的があるならば、

過去に起こったことを悔やみつづけるというのは目的に適ったものなのでしょうが。

良い方向にもっていく目的があるのならば、

自分を責めるような行為は意味がないだけでなく逆効果です。






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2007年11月14日水曜日

メラビアンの法則「態度と言葉の矛盾」

「ことば」だけでは伝えきれない。。。。

言ってること態度が違っていたらどう思いますか?。。。。

イメージしてみてください。

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SCENE1

あなたはアフリカ旅行にいっています。

そして、サバンナを車で走っていると、とある部族の集落が見える。。。

楽しそうに遊んでいる子供たちを見て、車を降り彼らの写真をとる。。。

写真のお礼とばかりに、カバンからキャンディーやお菓子を子供たちに配る。。。

配っているうちに大人たちも集まってくる。。。

彼らの言葉は一切わからない。。。

でもなんとなく、身振り手振りと声でコミュニケーションをとる。。。

細かいことの説明は無理だが、それなりに意志や感情は伝えることができるようで

なんとなく意気投合し、歓迎され、食事を振舞われることになった。。。。

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SCENE2

彼女の誕生日、なけなしの小遣いで買ったプレゼントをポケットに待ち合わせのカフェに。。。

そのカフェのマスターは10年来の知人。。。

ここのホットチョコは彼女の大のお気に入り。

この店にくると必ずたのむ。

そこでマスターにマグカップに用意したリボンでプレゼントの指輪をつけて出してもらえるように依頼する。

ちょっとした演出だ。

しばらくて彼女が店に。。

私の前に座ると、とりあえずいつものホッとチョコを注文する。。。

しばらくすると店のBGMが変わる。ジノ・ヴァネリのナイトウォーカー。。

彼女のお気に入りの曲だ。(さすがミュージシャン!渋い!渋すぎる)

そしてテーブルにカップが置かれる。

「誕生日おめでとう。。。」

彼女は目を潤ませ顔を伏せる。。。そして消え入りそうな声で「ありがとう」。。。。

えっ?それってどっち???(嬉しいの?それとも?)

※SCENE1.2ともにフィクションです。
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言葉が通じなくても身振り手振りでコミュニケーションができたりしますし、(SCENE1)

言葉と裏腹の表情(SCENE2)=ダブルバインド 。。。に対して人は敏感に反応するものです。。。

ですから、コミュニケーション上で言葉以外の視覚や音声などの重要性が語られたりします。

そのような場合、紹介されるのがアメリカの心理学者メラビアン(マレービアン)の法則です。

この法則は、ネットで調べると否定的な意見が見受けられますが、会話上での実験から導かれたものではなく、単語を用いた単純な実験から導かれたものです。

※この実験は、単語の意味と相反するような表情や声音があった場合、違和感を感じたら、何を優先してその意味を判断するのか?という実験です。その意味では、一般的なコミュニケーション上での「内容の伝達」比率という意味ではではありません。この辺を誤解している人がいるのかもしれません。第一印象なんかでは該当するでしょうが、この実験は視覚、声音、言語の要素に不一致(矛盾)があった場合どのように判断するかというものです。

メラビアンが行なった著書「Silent messages」のTotal liking=好意の総計のデータでは

7%-38%-55% Rule

フェイストゥフェイスのコミュニケーションで態度と言葉に矛盾を感じた場合人は以下の比率でそのメッセージの内容を判断する。

55%=ボディランゲージ Visual Liking (視覚)
38%=声のトーン Vocal Liking (聴覚)
 7%=言葉 Verbal Liking (言語)

当然これらは、数値化するために、単純な統計実験がベースとなっています。

まあ、好意の統計Total Likingですから論理的というよりもむしろ感情や態度に関する情緒的なものです。





実際にメラビアンの実験では、

まず、「好意」「中間(どちらでもない)」「嫌悪」のニュアンスを表す言葉を3つずつ選びだし、(例えば「好意」なら「甘い」「ありがとう」「好き」)

その9つの言葉を、「好意」「中間」「嫌悪」の声色でテープレコーダーに録音する。

そして「好意」「中間」「嫌悪」の表情をした顔写真を1枚ずつ用意する。

これらの下準備をして実験を行う。

被験者は、たとえば(怒った)写真を見せられながら、(悔しそうな)声音で(好きという)言葉を聞かされ、その言葉を発した人間がどういう感情であったかを記録する。

というように単純な統計が行なわれた。

実験の内容から考えれば、シチュエーション的には、冒頭のストーリー(SCENE1)のように単純なコミュニケーション(感覚的な・情緒的なもの)になればなるほど、この実験データは当てはまることになります。

したがって初対面の挨拶のときに情緒的なコミュニケーションをする場合は特に非言語表現が重要といえます。

その反面、伝える内容が複雑で論理的な要素が多くなってくる場合には、言語の比率が多くなってくると考えられます。

どういうことかといいますと、英語が得意でないのに、ビジネス契約締結について法的内容を含めて交渉するとしたら、どんなに非言語表現を駆使しようが、内容は理解できないということ。

したがって、コミュニケーションを構成する要素のそれぞれの影響度は、伝える内容に応じて変動するものと認識してもいいでしょう。

論理的な長文ではどうだかと気になるところですが、

その実験は困難で非常に難しく、こんなに単純に比率表現できないと思います。

つまり、発せられる言葉「単語」の受け止め方については、以下のように「シチュエーション」で判断する場合もあります。

単純にたとえますと、「俺はタイ」なんて言葉だったら。様々な意味になります。

旅行の話をしているなら、タイに行きたいとか。

海釣りをしているときなら、ねらっているのは鯛とか。

料理を頼むときなら、食べたいのは鯛。

ワイシャツはそのままでいいの?

と聞かれたときはネクタイをするとかの意味として受け止められます。(発音では、同じタイなので)

ですから、文章になった場合には、メラビアンの法則のように単純なものにはなりません。






態度と言葉の矛盾。。。

重要なのは、物事を伝えるときコミュニケーション要素の同一性や視覚からくる感性の問題です。

そういう意味ではダブルバインド仮説 と同じです。

たとえば、テキスト文書でみると「嫌だ」という言葉でも、

通常のコミュニケーションでも

女性が

「今日も綺麗だね」ドキドキ

なんて言われたときに

「嫌だ。何いってんのよ~。」ラブラブ

は、喜びとか照れとか好意の意味だし、

「○○って知ってる?」

「嫌だ。しらなかった~」

では、特に意味がなく中立だったりするし、

子供に嫌いなニンジンを食べさせるときの「嫌だ~!」しょぼんは、

ずばり嫌だったりする。

メラビアンの実験は、このようにシチュエーションとして判りやすい場合とは別に、

言葉と態度などに違和感が発生した場合の反応を単純に数値実験したといえるのです。

したがって、ある程度の文章を相手に伝える場合、

その意味を伝えるのに、

コミュニケーションの要素がそれぞれ異なる表現をしていたら、

伝えるべき内容が一層伝わらなくなる(解らなくなる)ということです。


そして伝わらないだけでなく意味が背反して

誤解されるようなことが起こったりするのでやっかいなことになります。

実践的に、営業にこの法則を当てはめてみるならば、

セールストークのはじめの段階では、

非言語表現を重視してコミュニケーションをとり、

クロージングに近づくについて言語表現を重視し、

論理的なコミュニケーションへと移行していくということなのでしょう。

論理的なコミュニケーションについてメラビアンの法則で説明できない。

数値で示す説得力のある法則はありませんが、

対人認知という側面から行動や服装などの視覚的要素には充分配慮すべきです。

チャルディーニの論文で紹介されている

レオナード・ビックマンやドゥーブ&グロスの実験でも

服装や外見や装飾品などの外見の影響力は実証されていますが、

メラビアンのように単純指標としてのインパクトのある引用ができないので

外見や非言語表現などの論拠として、

メラビアンが誤用されることになったのかもしれません。

人間は一般に、内容からよりも外見からいっそう多くを判断する。だれもかれも眼は持っているが、洞察の才を持つ者は稀である。

by マキャベリ



心理学でも外見による対人認知の影響は指摘されていますので、

非言語情報が重要で、

それら要素との一致が重要であるという意識はすべきことではあります。

信憑性を高めるのに法則と数値があると非常に有効です。

そういう意味でメラビアンの法則は一人歩きしてしまったのでしょう。

参考文献:
天使と悪魔のビジネス用語辞典
参考にしてますが私の見解は多少違います。(反論しているわけではありません理解を高めるためです。)

R.B.チャルディーニ著
影響力の武器[第二版]


参考サイト
天使と悪魔のビジネス用語辞典 Web版






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2007年11月13日火曜日

「顧客」志向

顧客志向を語るにあたって、

これからは「顧客」を満足「させる」サービスを提供しなければならない。。。。


なんか最近良く聞くフレーズだ。。。。


顧客志向という考え方で顧客の側に立つという意味では一見正しそうに聞こえる。。。。



顧客志向については、ものすごく世の中で言われているから、
だれでも知っていることであるはずなのだが、意外と勘違いしている人が多い。。。

顧客志向と言いながらも、「顧客を満足させる」。。。。
とつい言ってしまう。。。

私なりの解釈なら、こう言ってしまうのは頭では顧客志向でなければと解っているつもりだが顧客志向というものを本質的に理解していないからこういう発言になるのだろうと思う。(ただ、言葉尻をとっているわけではなく、前後の文脈から判断しますが。。。)

なぜなら、発言を思考としてとらえるなら、あきらかに「相手の立場に」立っていないから。。。

細かい話をすれば「顧客」という単語表現自体、主体はこちら側で、相手側ではない。

つまりわたしの「客」というニュアンスで、相手の立場ならば、せめて「お客様」とするべき。。。

つまり主体。。。

主語にならなければ相手の立場とはならない。。。

そして自分自身がお客様になったつもりで物事を考え(共感しイメージし)てみるという視点が重要であるということなのです。。。

まあ、表現上、たまたま「顧客」という言葉を使ってしまったとして、それは本当は「お客様」(主体が相手)というつもりだったとしても満足「させる」といってしまったら明らかに主語は、こちら側(つまり自分だ:わたしがお客様を満足させる)だ。。。。





だから本質的に顧客志向を理解しているなら

「お客様が満足する」サービスを提供するというように

主語お客様側にある表現が妥当でしょう。。。。

ん~。。。なんか文章では表現しづらい。。。

まあ、つまりは、お客様を観察してお客様の顔色を見るイメージでの考え方でなく、

自分がお客様だったら。。。

ないしはお客様にのり移って。。。

という視点といえばイメージできるのでしょうか。。。。

だから、頭の中で展開するイメージで、

見える映像はお客様の目から見た映像。。。

でもこれは、決して屁理屈でも「ことば遊び」でもないから。。。。

このとらえ方が違うならば、全く勘違いしてしまうということ。。。。。

結構重要なのです。。。。

ことばのあやというものもあるから、本質的な理解をしていながらも、

ことばとして顧客を喜ばすとか言う場合もあるかもしれないので一概に否定できませんが、前後の文脈からくみとれば、なんとなく顧客志向について発言している人が、その本質を理解できているかどうかはわかるものです。

たとえば理解していないというなら。。

接客姿勢(心構え)について語ったとすると。。

お客様との接し方でも、真剣に取り組むということは大事だが、真剣に「勝負」したり「戦ったり」する姿勢が必要なんて思っているようなニュアンスの話をする。。。

なんか真剣身があって真面目でいい感じな考え方のような気がするのですが。。。。
それはナンセンス。。。。

だって、お客様は「敵」じゃないでしょ!

本質的な顧客志向に則るなら、お客様は、ともに歩む、いわば同士や仲間のニュアンスが必要ではないのだろうか?

私はそう思う。。。。のですが。。。


ホームページ営業やシステム販売に置き換えるなら、将来の顧客になってもらえそうなお客様は、お客様自体が商品の付加価値や営業マン自身の付加価値になるという自覚が必要です。。。

つまりお客様の成功事例自体があなた自身の商品価値になる。。。

そしてその事例を営業トークで話しているならば、そういったお客様のノウハウや事例が「ビフォーサービス」となるのです。。。

となるとセールスの場はお客様と協同の商品開発の場と言ってもいい。

ですから敵対するような関係では断じてない。。。。。

あたり前の話。。。。

あえて言うまでもない話だったかもしれませんが。。。。

経営コンサルタントでも、上記のようなニュアンスで話す人がいますので(ロジック寄りじゃなく感性の世界だからとくに)、経営指導を生業にしているひと以外の人が顧客志向について今は違った見解であってもしょうがないのでしょう。。。。








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行動に引っ張られる心。。。

「行動は感情に従うように思われているが、
実際には行動と感情は同時に働くのである。

意思の力でより直接的に支配されている行動を
規制することによって、

意思に支配されにくい感情をも規制することができる。
つまり、快活さを失った時、

他人に頼らず自発的に快活さを取り戻す秘訣は、
いかにも楽しそうな様子で動き回ったり、

しゃべったりしながら、
すでに快活さを取り戻したように振舞うことである。

byウィリアム・ジェームズ(1842 - 1910) 一般心理学の「父」


落ち込んだとき、ストレスを抱えてしまいどうしようもなく沈んでいるとき、

演技でもいいから楽しそうに振舞っていれば、やる気が湧き上がってくるものです。

カラ元気とかいうものもそうですが。。。

無理やりでも行動に引っ張ってもらうことも、時には必要です。

2007年11月12日月曜日

百考は一動に如かず。。。

何か新しいことを行う。。。

人は失敗に対して恐怖を抱くものです。。。

誰でもその恐怖感はあります。。。

でも、最悪な失敗よりもさらに悪いことがあるのです。。。

それは1度も失敗しないことです。

なぜなら失敗をしないような程度のことしかしないのか、何も実行してないか、のどちらかだからです。

失敗を怖れ、完璧にしようといろいろ考え準備に時間をかけすぎる。そしてチャンスを逸する。

知る学ぶという点では、百聞は一見しに如かずとは言いますが。

「百考は一動に如かず」by私 
動=ここでは行動だけでなく心の動き・感動・体感・経験も含む

ということも多いのです。

人生は卒業後に自分からどれだけ能動的に働きかけたかで決まる。
by小柴昌俊(東京大学名誉教授・ノーベル物理学賞受賞)

2007年11月9日金曜日

その原因は? 原因帰属理論。。


「どうして?」「なんで?」「なぜ?」。。。。


矢継ぎ早に、こんな質問攻めをされれば、

なんか責められているような気がしてくるし、

終いにはイライラして腹が立ったりするものです。。。


しかし元来私たちは、様々なものを見たり、聞いたり、

自分で体験したときに、なぜ、どうしてと、その原因を考えるものらしい。


原因をどう考えるかによって、その時の感情や、その後の行動が変わってくる。

どんなときにどんな原因を考えるか、

その結果どうなるのかを考えることを理論化したのが、「原因帰属理論」です。

しかし、一般的に人は、本当の原因を突き止めることをスキップして、

ある程度当てずっぽうの原因を考えてしまうという落とし穴があるのです。。。


狼少年の話はみんな知っている。。。

それが非常に解りやすいのですが、

例えば、女性なら誰にでもニコニコ笑って声をかける男がいたら、

その人が誰かくどいていても、あいつは軟派だからと

原因はあいつ本人だと考えてしまう。

その逆で、ある女性が誰からも告白されモテモテであったなら、

そのなかに軟派なあいつがいても、彼女が魅力的だから、

原因は彼女の魅力だということになります。


人の行動に対する原因について限定すると非常にわかりやすい傾向があります。







とある朝

いきなり怒声が発せられた。。。。

(その彼が出社するや否や)

「だれだぁ!俺の○○勝手に持って行きやがったのは!(怒)」

「ふざけるなぁ!今日、朝いちで使うのに、黙って持って行きやがって!」

(うるさい。朝っぱらから不愉快だ。)

(ん!!!あいつのキャビネットの上に置いてあるのは?)

(そういえば、あいつ『明日朝いちで使うから』ってそこに置いてたっけ。え!!)

「朝からうさいぞ!ここにあるの何だ!あんたが昨日ここに置いたんだろ!!!」


この時、彼は他人のせいにして怒鳴ってましたが、

私は私で彼が心が狭いやつだ。なんて思ったものです。。。。

以上は1○年ほど前に実際にあったやりとり、彼は今、とある会社の社長をしている。。。。。

これは「他人のせい」にしてしまう典型的な例ですが、

問題行動があった場合の原因として勝手に思い込んでしまう心理の話です。

自己責任という内容で以前話しをしましたが、その本質的な心の動きのことです。。。


ふつう

問題行動があった場合

自分の行動は外的原因(環境のせい
原因は本人以外


他人の行動は内的原因(その人自身のせい

原因は当の本人

と人は考えてしまうものなのです。




たとえば、


先生が教室でゴミ箱にけつまずいて中身をぶちまけてしまう。

床はゴミだらけ。

そこで先生は叫ぶ。

だれだ! こんなところにゴミ箱を置いたのは!」 

つまり、転んだのは、ゴミ箱を置いた誰かが悪い、原因は自分以外=環境のせいだと思うのです。


では今度は、生徒が同じようにゴミ箱につまずいたとする。

すると先生はきっとこう言うのだ。

なにやってんだ! どこに目をつけてる!.......」

転んだのは、本人以外=環境のせいではなく、お前自身のせいだと考え、叱るのです。

これは、先生に限ったことではありません。

人は誰でも、自分に関する出来事は自分以外=環境のせい、

人に関する出来事は「その人自身の人格のせいだ」と判断しやすいものです。


たとえばあなたが、待ち合わせなどに遅刻したときは、どうするでしょう?

きっと「ごめんなさい。目覚まし壊れて。。。。電車が遅れて(事故で)。。。」

と似たような言い訳をしたことありますよね?

しかし、友達が遅れてきたときはどうでしょう。

今度は、「もう、いい加減だなぁ、時間にルーズで」などと思ってしまうものです。

このように、勝手に思い込みレッテルを貼る傾向が見られます。

ですので、わたしたちが忘れてはならないのは、

(普段)客観的に原因を認識していないということであり、

わたしたちが原因だと思い込んでいることのほとんどは

「見た目」と「思い込み」で勝手に作り上げられた原因に過ぎないということです。

行動分析学では「『個人攻撃の罠』に陥らないように」と警告していますが、

プロセス管理・行動管理などを行ったとき、

思うような結果が出せないような人間に対して人格的なものが原因だなんて判断をしてはならない。。

一度冷静に「その判断は勝手な思い込みかどうか?」考えてみるべきです。。。。。



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2007年11月8日木曜日

頭の中の矛盾。。。認知的不協和

部下のKが席に戻ってくる。。。

こっちに歩いてきて私の斜め右前の席に据わる。。。

そしてタバコの臭いだけが私の方へと漂いくる。。。。

何年もタバコを吸っていないと臭いを嗅ぐだけで不愉快になるものだ。。。。

まぁこんなことたいしたことではないのですが。。。


「タバコは体に悪い」これはみんな知ってることです。

歩きタバコは人に迷惑をかけるということも、

当たり前のことと認知しているものの、

喫煙者側は、「どこもかしこも禁煙にしやがって、外でぐらい自由にすわせろ!なんて思っている」ものです。。。。

実際に私もタバコをやめる前は、そう思っていましたから。。。。。

本当に嫌いな人にとっては悪臭(ウ○コのにおいなど)をかがされているのと変わらないというのに。。。。

まあ、「タバコを吸って太っている人間は自らを律することができない不摂生な意志の弱い(我慢ができない・だらしない)人間だ」と勝手に決め付ける(バイアスをかけてしまう)ことも、ままありますが。

さてそれは横に置いといて。。。



タバコは体に悪いと分かっているのにタバコを吸っている人は、

タバコを吸いたい気持ちと、体に悪いという情報との不協和(矛盾)をどのように解決しているのだろうか?

例えば、

「体に害があるかどうかははっきりしていない」と情報を歪めたり、

「ストレス解消になる」という新しい認知を持ったりする、

など考えられます。

このように、人は矛盾することを嫌っていろんなことをするもの。。。。

これを実証する実験がかつて行なわれた。。。







1ドルの報酬実験(1959)

社会心理学者フェスティンガー(L.Festinger)とカールスミス(J.M.Carlsmith)の実験。

○退屈な作業を1時間
ある2つの学生グループに「とても退屈な作業」を1時間続けてもらう。

○次のひとに「面白かった」とウソを言う
作業終了後にその2つのグループとは別の次に作業をするひと対して「作業は面白くてやりがいがあった」とウソ言う

○謝礼1ドル組と20ドル組

そして1つのグループには、謝礼として1ドル。
もう1つのグループには、謝礼として20ドル支払う。

さらに報酬を支払った後、その作業についての質問をします。

○事後の質問「面白かったですか?」
「作業は面白かったですか?」



1ドルのグループと20ドルのグループ

どちらが「作業が面白かった」と答えたでしょうか?





報酬が多い方が良い回答をすると思われますが、実際は逆で

1ドルしかもらわなかったグループの方が「面白かった」と評価する傾向があったのです。


なぜ、そんな結果がでたのでしょう?


■20ドル=作業の対価としてとらえた。
20ドルの報酬を受けたグループは、「面白くない作業」というストレスを
20ドルという報酬で解消・正当化(作業の理由が明確化)され、事後の評価では、
ストレスのない状態だったので、自分の行為に対して正当化する必要もなかった
から、素直に「面白くなかった」と答えることができたのです。

そして

■作業>1ドル・・・理由がない・・・不快感・・・ 
1ドルしか報酬を受けてないグループは、「面白くない作業」というストレスは
1ドルという報酬では解消できません。となると「こんなつまらない作業に
1ドル程度のため1時間もの時間を浪費した」という自分の行為にストレス(不協和)
がのこり不快な状態になる。

そうすると無意識にそのストレスを解消するため「意義のある面白い作業」と思うことで、
正当化しバランスをとってしまったのです。

自己の正当化。。。

ひとは自分の行為に対して報酬や評価など外部からその理由を獲得できないときは

自分の内部で自分自身を肯定することでバランスをとるものです。


この実験の場合は、「退屈な面白くない作業」という事実が、自己の正当化のため

に「面白い作業」として歪められてしまってます。

しかし歪めた本人は、やっかいなことに正しいと思っているのです。

じゃあどうすればいい?

それは考えてみてください。

ヒントは「外部からその理由を与える」です。

※内容に多少、失礼な表現があるかもしれませんが、あくまでも社内コーチングブログの抜粋なのでご了承願います。




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2007年11月7日水曜日

第一印象は?。。。

「はじめまして。。。。」


如何にもブリティッシュテーラードといった感じのピシっとしたスーツに、

アイロンの利いた真っ白なワイシャツ。

喉元にキュッと絞められたヴィヴィアンウエストウッドのネクタイ。。。

髪型も短めで、クールな眼差しで、

いかにも「できる!」感じの人が私の目を見ながら名刺交換をする。。。。。。。

そのとき私は、「この人は仕事できるんだろうなぁ。。。。」

何も知らないはずなのに勝手に思ってしまう。

まあ、そりゃぁそうだろう。。。。。。。。。



外見や、最初の自己紹介などで、

「第一印象」ができあがるものです。

いったん、第一印象ができあがると、

次からは、この「第一印象に合わせた対人認知」が始まる。。。

一度、良い人だと思い込めば、その人の良いことばかりが目に付くし、

いろいろなことを良い方向に解釈する。

最初に悪い人だと思い込んでしまえば、その反対のことが起こるのです。

これを説明する理論に「認知的不協和理論」や「原因帰属理論」というのがあります。
(これはまた次の機会に。)

良い人だと判断してしまえば、

その判断と矛盾する証拠や考えは不愉快なので(認知的不協和が発生するので)、

良い人だと思える証拠をさらに集め、

またさまざまな情報を良いこととして解釈するようになるのです。
(この傾向は対人認知だけにとどまらないのですが)





廊下であいさつをしたのに、相手がそのまま通りすぎた場合はどうでしょう。

相手を良い人だと思っていれば、気がつかなかったのかななどと考える(原因帰属する)。

嫌なやつだと思っていれば、オレを無視したなどと考える(原因帰属する)ものです。

あいつは嫌な人間だと、あなたが思っているとする。

なぜ、そう思うのか?

それは、あいつが嫌な人間だからだ。

そうかもしれない。

でも、もしかしたら、嫌な人間だと
あなたが勝手に思い込んでいる
だけなのかもしれません。

真実はいかに????

(より多くの情報を得るためにコミュニケーションをとるに越したことはない)





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2007年11月6日火曜日

認知。。。?。!!

「認知」


認知すると言っても、

突然女性に「あなたの子供よ!」なんて言われて、

焦ったあげくの果てに、

子どもを自分の戸籍に入れるという話ではありません。。。。

心理学の話です。。。。



たとえば

「あなたの隣にいる人はどんなひとですか?」

と聞かれれば、

やさしい人とか、怒りっぽい人とか、いろんなふうに答えられる---

そんなふうに、あの人は「こんな人」と判断することを、「対人認知」といいます。

つまりあの人の髪は薄いとか、太ってるとか、赤い服を着ているとかいう外見ではなく

性格など目に見えない内面の判断を対人認知と言うのです。




まるで「発掘のときに見つかる破片」と同じ

あの人はやさしい人だと判断するのは、

判断するだけの何かの材料はあるのでしょう。

でも、その人の全てを知っているわけではない。

「やさしい」という心の中を実際には見ることはできません

もちろん、その人の行なったこと全てを見て、

やさしい人だと判断しているわけではない。

わたしたちは、ある人の全てを知っているわけではなく、

実際に見たり、うわさに聞いたりした、その人の「ごく一部を知っているだけ」です。

でも、そのごく一部のばらばらの知識をつなぎあわせて、

その人の全体像を、自分の中で「勝手に」組み立てる。

そして、あの人は、やさしい人だとか、いじわるな人だとか、結論づけレッテルを貼るのです。

つまり、たとえるなら考古学者が、恐竜の化石の骨の断片を集めて、

元の形を想像しながら組み上げるようなもの。

自分のもっている知識や動物の骨格を参考に、成形していく。。。。。

対人認知もそのように、特殊な心の色眼鏡(いろメガネ)を使って、

ばらばらの情報を集め、焦点を合わせて、一人の人の人間像を浮かび上がらせるのです。

ところが、この心のメガネは、いつも少し歪んでいたり、曇ったり、色(バイアス)が付いている(がかかる)。

わたしたちは、その人についてのいくつかの知識(情報)を客観的に組み立てるというよりも、

「自分なりに」組み立て上げてしまうものです。

恐竜や古代生物の化石の断片が発掘されたときも、

学者が想像しながらいろいろな生物像を作り上げますが、

これまでに、ずいぶん間違った生物の形を作り上げてしまったことも多いのです。

心のメガネの歪みは、その人独自のものもあるし、多くの人が共通して持っている歪みもあります。

では、その共通する歪み(バイアス)とはどのようなものなのでしょうか?


外見と対人認知


心理学でも指摘されていることですが、

イケ面美人は、外見が美しいというだけで「いい人」と思われます。。。。

異性であるなら好意や好感を持つのは当然。。。。

薄汚れたTシャツに短パン姿で不潔なヤツよりは、

スーツでビシッとキメたクールなヤツの方が信用できる。。。。

でもマッチョやグラマーは、ある意味外見が美しいけど「いい人」というわけではなく、

違う意味で魅力的であったりしてしまうかもしれません。。。。

私の友人で、やたらと太った人に好感をもつ嗜好のひともいたりする。

んっ?それは関係ないか?


心のメガネ:共通の歪み(バイアス)

人を色メガネで見る。。。

なんて表現きいたことありますよね?

外見で判断してしまう場合の「心のメガネの歪み(色メガネ)」で代表的なものは、


1:服装(ファッション)

人を判断するとき(対人認知するとき)、まず見るのが外見です。

アメリカの実験でこういうものがあります。

公衆電話のコインの返却口にわざと10セント効果を置いたまま、次の利用者と替わる。

そして、その人が出てきたときに、「10セント硬貨がありませんでしたか?」と聞く。

このとき、同じ人が、同じことを言うのですが、服装を変えて実験したのです。

「立派なスーツ」か、「みすぼらしい服」か。

すると、高価なスーツを着ていたときの方が、10セントを返してもらることが多かったのです。

服装の違いによって、正直な人、依頼に応じるべき人というふうに、判断してしまったわけです。

服で人を判断するなんて、ちょっと情けない話ですが、

でも多くの人間は相手の服装によって対人認知の内容が変わってしまうものなのです。




服装(ファッション)による対人認知(こんなひとと思うこと)のほか、

代表的な心の色メガネは


2:顔、体格

丸顔の人、ふっくらした人は、やさしい。

目の細い人は冷たい。

やせている人は神経質。

わたしたちは、相手の外見から直感的に、

相手の内面を判断してしまうものです。。。。。。

もちろん実際は、ふっくらしていても、

やせていても、いろいろな人がいるわけですが、

でも私たちは外見からある性格を感じ取ってしまうのです。

そこで、ドラマやアニメではこの人間の認知の仕方を利用したキャラクター作りをしています。

明るくて人情味あふれる登場人物は、たいていふっくらとした体形。

冷静なコンピューター青年などは、細長い体形で、メガネをかけたりしている。

ゴルゴ13は、細い目に、太い眉で、見るからに冷静で意志の強い感じする。


3:美男、美女

外見が美しいと、内面も優れていると判断されるというのは、

心理学でも実証されており、以前ブログで話したこともあります。

美人は、頭もいいし、性格もいいと思われてしまうのです。

みんなが息を飲むほどのすごい美人の転校生、OL注目の二枚目新入社員などなど。

こんなすばらしい容姿の人を見ると、私たちは、

その人がやさしくてさわやかな性格で、頭が良くて、

英会話なんかもペラペラだし、スポーツや楽器が得意で、

勉強ができる、仕事ができるというイメージをすぐに作り上げてしまうのです。


小さな子どもでも、容姿の良い子どもは、内面も良いと見られがちです。

模擬裁判の実験でも容姿の良い被告への判決は、

甘くなりがちであったという事実がありますし。

ただ、皆にそう見られることによって、その波動の影響でそんな人格になったりすることもあるでしょうし、

そう観られていることを意識して、そのように振舞っているうちにそんな人格になる場合もあるのですが、

これはまた別の話です。

参考文献:
R.B.チャルディーニ著
影響力の武器[第二版]
他、心理学関連書籍








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2007年11月5日月曜日

とにかくやってしまえ!

いいアイディアなら、いいからやってしまえ。

許可を得るより、謝るほうがずっと簡単だ


byグレース・マーレイ・フーパー アメリカの海軍少将


「○○部長ちょっといいですか?△△のことなのですが、××という状況なので、どうしたらいいのでしょうか?」

よくこのような指示を仰ぐシチュエーションを目にすることが多いです。

よくよく聞いてみると、そんなことワザワザ聞かなくても判るでしょ!というような内容が殆ど。。。。

なぜつまらないことでも指示をあおぐのだろうか?

どうしてこうなってるのだろう?・・・・



細かいことも全て指示してしまうような上意下達のコミュニケーションばかりしていると、

もともと能力がある部下でも、(当たり前の話であろうが)思考することをやめてしまい「考えない」「指示待ち」が習慣化するものです。。。

だから上に立つものは、下の人間が全く経験もなく右も左もわからないような状況でない限り

ある程度具体的な細かい指示は、しない方がいい。

なぜか?

これは単純に考えてもつのデメリットがあります。

デメリット

細かい指示をしてしまったが上に、実行する責任は指示した側にしかない。

だから問題があっても改善されにくいことになります。

指示された側にすれば、いったとおりにやってるのだから悪いのは指示した側だということに。。。。

逆にやっている本人の考えで実行しているなら、問題が発生しているときは、迅速に改善されることとなる。


デメリット

指示された側は「言われたことをやっているに過ぎない」からつまらない

まじめに言われたことをやるかもしれませんが、やらされているに過ぎないからドライブがかからない。


デメリット

自分で考えることができなくなくなってしまう。自分で責任をもって決めるという習慣がなくなる。

そして仕事するうえでの脳死状態となっていくのです(アーメン)。。。



「脳は素晴らしい器官である。朝起きるとすぐに活動を始め、オフィスに到着するまで機能を停止しない。」

byロバート・フロスト


自立型の社員を育成していないなら、社員は↑このようなハメになってます。

指示をあおがなければ何も出来ない。。。

今の時代、指示をあおぐべき人(責任者)は皆、連絡がとれないという状況になりやすいものです。

だから、メールやメモなどの伝言で指示を仰ぐが、

そのメールや伝言が伝わるまでに時間がかかったり、

全く気がつかなかったりして、いつまでたっても指示がない。

指示がない限り動かない。

指示がないから自分の責任ではない。。。

おいおいっ。。。。

指示待ちで仕事をすすめるというなら、学生のアルバイトで充分じゃないか?

と上に立つ人間は考えてしまうものです。。。


そういう指示待ちの人間になるように「しつけ」てしまっているのは、誰だ

自分たち責任者なのに。。。

部下の能力がないなんて。。。。。

上司自身の能力不足かもしれないというのに。。。。










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2007年11月2日金曜日

科学的管理法「テイラーイズム」

「おまえらぁ!ちゃんと客先訪問してんのかぁ!」


『ほんとにコイツらは、ちゃんと管理しないと怠けるからなぁ~』。。。。


と言っている本人がパチンコ屋で部下と鉢合わせをする。。。。。


その上司が「ちょっと●●●●に行ってくるからぁ。。。」

と外出


そして他の人が用事があって●●●●に電話しているときに

「そういえば、そっちに○○さん、行ってますよねぇ」

と聞くと


「えっ!今日は来てませんけど。。。。」

(沈黙・・・・・・・・・・・・)

という実際に起こった笑い話は現代版植木等ぽくて面白い。。。。


それは置いといて。。。。


GPSを使った行動管理システムなど、

営業の行動管理システムを導入する経営サイドの意図として存在することではあるのですが。。。。


科学的管理法 FWテイラー(テイラーイズム)

工程管理・行動管理で効率を上げるという科学的管理法として、

かつて企業の経営に貢献したマネジメント手法があります。

その代表格としてあげられるのが、科学的管理法「テイラーイズム」です。

(チャップリンのモダンタイムスという映画はこれを風刺したもの)

これは一つ一つの行動を徹底して観察してポイントを抽出しパターン化していけば、

複雑な行動でも即席で真似できるというもの。

工程・行動の管理とその「マニュアル化」といったところでしょうか。

これにより未熟な労働者もあっという間に一人前の労働者として働く事ができた。

米国や日本の生産性向上に大いに貢献した手法です。

労働者のスキル・地位向上を目的とし、

生産性を向上させるための手法として作業の可視化「見える化」を図る。

そして出来高制給与体系をとる。

この手法は「標準化」と「効率」という観点では有効ではありました。。。。

ある意味人を歯車として考えるなら今でも有効でしょう。。。。

しかし、有効な反面、型にはまり、「命令がないと動けない」という組織や

社員を創り出す傾向が観られたのです。

いわばX理論の典型

まさに往年のマネジメント手法であり、「自立型人材の育成」とは背反するものになります。

つまり、そのような環境下では創意工夫が派生しづらい。

それの最たるものがマイクロマネジメント(詳細にわたって関与するマネジメント手法)

全ての行動を細かくチェックし管理しようとすると管理が目的になり、

パフォーマンスを低下させるという状況に成り下がり人も育たない。。。


ある程度行動マニュアルも必要ですが、

タイムワーカーの典型であるパートやアルバイトでも「マニュアルのみ」からの脱却により、

彼らの創意工夫で活性化している事例も見受けられるようになってきています。

画一主義、マニュアル至上主義ではなく、臨機応変(アドリブ)対応。。。
(ブックオフの社長はパートでしたから。。。これとは関係ないですが)

基本的な(標準的な)部分は徹底し、その理念や概念にそった行動はアドリブで行なえる、
それが昨今話題となっているホスピタリティなのでしょう。。。

管理することも必要ですが、その目的が監視する視点ではなく、

補佐・指導する視点であるべきではないでしょうか?

継続的なサポートと評価。

少なくとも評価のサイクルが年に数回しかないのでは、ドライブがかからない。。。
「マニュアル化」というものがテイラーイズムの典型ですが、

「じゃあどうすればいい?」

と聴かれてしまう。。。。

私が考えるに

マニュアルは、単なるテクニックに過ぎない。

テクニックだけ知っていても役に立たないことが多い。

「なぜ」そうするのか?なんて分かっていない。。。

だから応用することはできない。。。。

それにテクニックだとすぐに見抜かれてしまう。。。

だから「どうすればいい?」という質問に対して、

簡単に答えるなら、

「本心からそう思えるようになり、行動できるようになる」こと。

言い換えるなら、

「マインド面やメンタル面のプログラミング=心がけのセッティングが重要」
ということ。

つまり「潜在意識」のセッティング(プログラミング)です。

ちゃんとセットされれば、それは「真実・本心」となる。

「潜在意識」のセッティング(プログラミング)する。。。。。

そして経験や体験、体感を通じて「本物」になる。

いわゆる精神論としてとらわれてしまうかもしれませんが、

これからのマーケティングでは最も重要なファクターとなるのではと私は勝手に思ってます。

感性のマーケティングやユーザーエクスペリエンスマーケティングなどでは、

セールス側の潜在意識が顧客の潜在意識で悟られてしまうということが指摘されはじめています。

ですから本心から「役に立ちたい」という想いが潜在意識にセットされているならば、

その「想い」が言葉づかいや表情や行動に無意識のうちに現れ、

それが非言語表現や波動としてユーザーの無意識に伝わり、

それが結果として好意誠意として受け止められるようになり

「売上や結果」に結びついてしまうということです。

行動の管理が不要というわけではありません。

人が変わるためには、それを継続して見守り、サポートして、

評価するという機会が頻繁にあることが大切です。

年2~4回の人事考課(ボーナスや昇格の評価)なんて少なすぎる。

忘れたころの評価なんて。。。

対象者(部下)も評価者(上司)も行動につながるような評価はできません。

評価の締め日が年数回で評価は面談で行なわれる日々か週次評価の累積というのはどうでしょう?

忘れた頃の結果よりも成果を出すための日々の努力を忘れぬうちに評価するというのが理想です。

※テクニックやノウハウはその手法を知っているというだけでは、意味がありません。
あくまでも参考とするレベルでとらえてください。
なぜなら使えることができても、対人関係に関わることならば効果がない場合が多いからです。
本質は違うところにあります。






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2007年11月1日木曜日

一問一答のテストを反復すると。。。

小学校・中学・高校と教わったことの1つの解答を書くというテストをしてますが、

これを反復すると答えが用意されてないことについて

自ら物事を考えるということが徐々に困難になり、

自立型の(生産的・創造的な)思考が育たなくなります。

つまり頭にレコーディング(記録・記憶)されたものを再生する思考、

いわばプログラムされたことの反復だからです。

こう表現するとロボットみたいですよね?

再生的思考の反復。。。マニュアル型人間の製造。。。

実は、 このようなことを社会人になってもやっているようでは、

いつまでたっても自立型人材は育たない。。。。

あなたの会社で物事を徹底するのに1つの答えを書くようなテストなんて
反復してませんよね?
(ここで言うテストは筆記試験だけでなくコミュニケーション上のやりとりも含みます。)

もし、そうであるなら危険かもしれません。叫び

なぜなら変化に対応できない受動型社員を育てていることになるし、

あなた自身がそういう人材になってしまう可能性があるからです。

いろいろ推奨されている論理的思考もそればかり繰り返していると、

原因追求過剰(追求癖がつく)になり、なんに対しても批判したり、

新しいことや変革などに対して過剰なまでに保守的になったりするものです。

問題の原因や問題追求することに「快」を感じるようになり、問題発見名人

でもなったら何にでもストッパーになります。

理論武装してしかもそれが正論だなんて、やっかいにもほどがあります。。。

原因追求も過去(記録)を振り返るものが多いですし、仮説への誘導が行われ
(はじめからおおよその答えを用意してそれの論拠となる証拠を優先してしまう心理があるので)

一歩間違えば、他責型になって他人や環境のせいにするような人間になる。

自分の頭の良さを示したくなり(自己顕示欲が高まり)、

他人を批判する姿勢が習慣となる。

もう頭の良いのはわかりましたからっ!。。。左脳の使いすぎもほどほどに。。。

あまり考えすぎずに行動もしましょう。。。

体験・体感し直観力も養わないとバランスが悪くなります。

確認してみる

相手と話をしているとき

相手が理解できていないことがはっきりわかったりする時があります。

顔を見ていれば解る場合もありますし、

実際に「どういうこと?」と聞かれたり。。。。

こういうとき、

相手にわかるように話すことができればいいのですが。

結構うまく行かないことが多い。。。

相手の「環境」や「住む世界」が異なれば、

共通する言葉(用語など)も異なります。

ですから、いっそのこと。

どこまで理解できたかを確認するように話せば、
(逆に質問してもいいです)

相手が解らないところを把握することができて、

ものごとも伝えることもできるものです。

自分が伝えたいことを相手にわかるように努力することは

誠実な態度だと私は思います。