今日は「考える」ということについての話です。。
人と話していて、よく「考える」という言葉を使ったり、相手が言ったりします。
何か言われると、「ちょっと考えさせてください」と。
実は、多くの場合、考えられないのではないでしょうか?
私も昔は「考えてさせてください」と言いながらも何も頭に浮かばないなんてことが多かったです。
未だにそんな状況があったりします。
自分は「考えている」なんて思うかもしれませんが、考えられない状況に陥ることが多いと思うのです。
たとえば、
目の前にホワイトボードがあります。(とイメージします。)
自宅の最寄り駅から自宅への簡単な地図を描いて見ます。ある程度、書けますよね。。。
それでは今度は私の家の最寄り駅からの道順を書いてみてください。。。
って書ける訳ないですよね。。。
自宅の道順は考えて書けますが私の道順については考えても書けません。
あたりまえですよね。。。
どういうことかといいますと。
当然ですが私の家の情報がないからです。。。。
自宅については頭の中に情報があるため書ける。
そしてその情報を探す行為を「考える」ということなのです。
「発想する」というのも同じ。。。
さまざまな情報をスロットマシーンのように頭の中で回転させる。。。
カチーンと目が揃う=ひらめく。。。というものだと思います。。。
考えるためには元(素:もと)=情報がなければならない。。。
スロットマシーンもコマがなければ揃いもしない。。
しかし、情報といっても「使える」情報でなくてはダメで、「経験・体験」した情報であることが前提となります。
なぜかというと経験や体験がないと空論となりがちだからです。
(空論を導きだすならそれでもいいですが。)
したがって多くの「体験・経験」をしている人だけが「考えられる」といえます。
つまり、仕事において「体験・経験」がない新人は、
本質的にあまり「考える」ことはできないということになります。
ですからまずは情報を体験することが必要となるのです。。
元々の情報がなければ考えても無駄それは「考えているふり」でしかない。
考えるためには早く多くの失敗を経験することが大切です。
「活用できる情報(データ)」=「体験(経験)したもの」→考える・発想することができる。
しかし体験(経験)を考えるための素材=「情報」にするためには、だた単にボーとしていては意味がありません。
当然、体験・経験したことの記録(又は記憶)や分析(自分を責める反省は不要)が必要です。
それをしなければ情報=体験を積み上げることにはならないのです。。。。
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